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日本スポーツ界の存在感も示した室伏の引退(下)

親子2代で「室伏流ハンマー」に挑み、世界にもたらした変革の哲学

増島みどり スポーツライター

陸上日本選手権男子ハンマー投げで予選敗退した室伏広治=2016年6月24日、名古屋市のパロマ瑞穂スタジアム拡大陸上日本選手権男子ハンマー投げで予選敗退した室伏広治=2016年6月24日、名古屋市のパロマ瑞穂スタジアム
 初めて室伏広治を取材したのは彼が高校1年、重信氏(70=現在中京大名誉教授)のもとを離れ、単身で千葉の成田高校に留学した際である。

  父はアジア大会前人未到の5連覇を果たした「アジアの鉄人」と呼ばれ、室伏の前・日本記録保持者で日本選手権10連覇を達成。84年のロサンゼルス五輪まで4大会に出場した(モスクワは代表となったが日本ボイコットで不出場)。

  重信氏は、高校で陸上指導者として全国で知られていた滝田詔生氏に息子を託し、あえて自分の手元から離した。そんな意を汲み、滝田氏も将来が約束されたかのようなサラブレッドに投てきの指導同様、下宿先での雑巾がけや皿洗い、社会人としての礼儀を叩き込んだ。当時は一般の高校男子と比較してもか細く、ハンマーを投げるイメージは沸かなかったが、一方で走り幅跳びから百メートルまでパワー、スプリント、跳躍全種目で才能を輝かせていた。

  滝田氏にこう言われた。

  「重信さんがハンマー界の鉄人だからって、広治にハンマーで五輪に行く、とは質問しないで下さい」

  では何を質問しにここへ、と言いかけて、分かりました、とうなずいたのは、2人が逸材をどれほど大切に育てようとしているかを知ったからだったと思う。重信氏はコーチとして「絶対に強制しない」と、その指導哲学を徹底していた。

 「本人がやりたい、強くなりたい、と思ってすすんでこの道に入らない限り、道を究めるのは無理なんです。大変難しい競技ですし、世界でも例のない挑戦になりますから」と、当時から明かしていた。

 加えて、大学生の頃、

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筆者

増島みどり

増島みどり(ますじま・みどり) スポーツライター

1961年生まれ。学習院大卒。84年、日刊スポーツ新聞に入社、アマチュアスポーツ、プロ野球・巨人、サッカーなどを担当し、97年からフリー。88年のソウルを皮切りに夏季、冬季の五輪やサッカーW杯、各競技の世界選手権を現地で取材。98年W杯フランス大会に出場した代表選手のインタビューをまとめた『6月の軌跡』(ミズノスポーツライター賞)、中田英寿のドキュメント『In his Times』、近著の『ゆだねて束ねる――ザッケローニの仕事』など著書多数。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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