親子2代で「室伏流ハンマー」に挑み、世界にもたらした変革の哲学
2016年07月01日
父はアジア大会前人未到の5連覇を果たした「アジアの鉄人」と呼ばれ、室伏の前・日本記録保持者で日本選手権10連覇を達成。84年のロサンゼルス五輪まで4大会に出場した(モスクワは代表となったが日本ボイコットで不出場)。
重信氏は、高校で陸上指導者として全国で知られていた滝田詔生氏に息子を託し、あえて自分の手元から離した。そんな意を汲み、滝田氏も将来が約束されたかのようなサラブレッドに投てきの指導同様、下宿先での雑巾がけや皿洗い、社会人としての礼儀を叩き込んだ。当時は一般の高校男子と比較してもか細く、ハンマーを投げるイメージは沸かなかったが、一方で走り幅跳びから百メートルまでパワー、スプリント、跳躍全種目で才能を輝かせていた。
滝田氏にこう言われた。
「重信さんがハンマー界の鉄人だからって、広治にハンマーで五輪に行く、とは質問しないで下さい」
では何を質問しにここへ、と言いかけて、分かりました、とうなずいたのは、2人が逸材をどれほど大切に育てようとしているかを知ったからだったと思う。重信氏はコーチとして「絶対に強制しない」と、その指導哲学を徹底していた。
「本人がやりたい、強くなりたい、と思ってすすんでこの道に入らない限り、道を究めるのは無理なんです。大変難しい競技ですし、世界でも例のない挑戦になりますから」と、当時から明かしていた。
加えて、大学生の頃、
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