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[1]心神喪失の主張が認められにくい刑事裁判

現代日本の多数派の心情に沿う「責任主義」という考え方

瀬木比呂志 明治大法科大学院教授

 繰り返すあやまちの、そのたび人は、ただ青い空の、青さを知る。   覚和歌子『いつも何度でも』

 罪なき者、先ず石を擲(なげう)て   ヨハネによる福音書第8章第7節

 死刑について論じた文章(以下、この文章では「死刑論」として引用する)に続いて、犯罪について考えてみたい。

 まず、近代刑法の最重要原則の一つである「責任主義」について簡潔に説明しておこう。
責任主義とは、「行為者(犯罪に該当する行為を行った者)に対する責任を問うことができない場合には、刑罰を科すべきではない」という原則である。

刑事裁判の法廷。壇上に裁判官が座り、証人は正面の席で宣誓して証言する=1984年、東京高裁拡大刑事裁判の法廷。壇上に裁判官が座り、証人は正面の席で宣誓して証言する=1984年、東京高裁
 これは、「違法行為を避けることが可能であったと認められない場合には処罰はできない」ことを根拠としている。また、「死刑論」に記した刑罰の根拠論である応報刑論からしても、目的刑論からしても、その責任を問いえないような者に対する刑罰は不当であると考えられる、ということもある。

 この原則を受けて、日本の刑法も、責任能力を欠く者の行為を処罰しないことを規定している。具体的には、心神喪失者すなわち

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筆者

瀬木比呂志

瀬木比呂志(せぎ・ひろし) 明治大法科大学院教授

1954年名古屋市生まれ。東京大学法学部在学中に司法試験に合格。裁判官として東京地裁、最高裁などに勤務、アメリカ留学。並行して研究、執筆や学会報告を行う。2012年から現職。専攻は民事訴訟法。著書に『絶望の裁判所』『リベラルアーツの学び方』『民事訴訟の本質と諸相』など多数。15年、著書『ニッポンの裁判』で第2回城山三郎賞を受賞。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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