瀬木比呂志(せぎ・ひろし) 明治大法科大学院教授
1954年名古屋市生まれ。東京大学法学部在学中に司法試験に合格。裁判官として東京地裁、最高裁などに勤務、アメリカ留学。並行して研究、執筆や学会報告を行う。2012年から現職。専攻は民事訴訟法。著書に『絶望の裁判所』『リベラルアーツの学び方』『民事訴訟の本質と諸相』など多数。15年、著書『ニッポンの裁判』で第2回城山三郎賞を受賞。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
人間の行動を決定するのは「意識」ではなく「脳」
ところで、脳神経科学の最近の研究成果は、おそらく、責任主義の前提そのものに対して、大きな疑問を呈するものである。といっても、これは、「刑法39条はおかしくないか?」といった考え方とは逆の方向からの批判だ。つまり、「そもそも、責任主義の前提である自由意志論自体が虚構にすぎないのではないか?」という批判である。
こうした主張を直截に展開しているのが、脳神経科学者デイヴィッド・イーグルマンの『意識は傍観者である――脳の知られざる営み』〔早川書房〕である。
イーグルマンは、これまでの脳神経科学の成果を引きながら、人間の行動の多くは意識のアクセスできないレヴェルで決定されており、意識は調整者的な役割しか果たしていないこと、脳のあらゆる部分はほかの部分とつながったネットワークであり「すべてに先立つ自由意志」は幻想にすぎないこと、人間の行動に影響を及ぼす遺伝的・環境的要因、あるいは脳の器質的要因、つまり、個々の脳の物理的特性が個人によってはおよそ左右できないものであることなどを明らかにし、自由意志と責任主義に基づく刑事法学と裁判のシステムを批判する。つまり、「自由意志が幻想である以上、責任主義もその根拠を失う」というわけだ。
一見非常に先鋭な主張のようにみえるが、実をいえば、近年の脳神経科学の知見からすれば、こうした主張が出てくることは、不思議ではない。
1980年代に行われた有名な「ベンジャミン・リベットの実験」は、人間がある行為を行おう(たとえば、指を動かそう)と決意する0.5秒近く前に脳波にはそれに対応した電位変化が現れることを示した。
『脳のなかの幽霊』〔角川文庫等〕、『脳のなかの幽霊ふたたび』〔同〕等の著者として知られる脳神経科学研究者兼臨床医のV・S・ラマチャンドランは、この現象について、自然淘汰が、「意志」という主観的感覚をあえて遅延させ、脳の指令の「発生」と同時ではなく、指による指令の「実行」と同時にするように働いたためではないかとし、脳内事象に伴う主観的な感覚のあり方(たとえばこの実験における「意志」の感覚の遅延)は進化的な意味をもっているはずだという自己の考えの傍証としている。
要するに、①人間の「自由意志」とは、進化の過程で作られたある意味での「虚構」であり、人間の行動を決定しているのは、その「脳」そのものである、②それより