瀬木比呂志(せぎ・ひろし) 明治大法科大学院教授
1954年名古屋市生まれ。東京大学法学部在学中に司法試験に合格。裁判官として東京地裁、最高裁などに勤務、アメリカ留学。並行して研究、執筆や学会報告を行う。2012年から現職。専攻は民事訴訟法。著書に『絶望の裁判所』『リベラルアーツの学び方』『民事訴訟の本質と諸相』など多数。15年、著書『ニッポンの裁判』で第2回城山三郎賞を受賞。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
犯罪者の社会復帰の可能性に目配りした決定にすべきだ
それでは、以上を踏まえて、犯罪とその処遇についてどう考えるべきだろうか。
まず第一に、子どもに関するあらゆる虐待を早期に発見し、適切な介入やケアを行うことができるような法的、制度的な仕組みを作ることと、そのために必要な人的資源の充実が必要である。
これについては、「死刑論」でも引用したデボラ・ニーホフが『平気で暴力をふるう脳(原題は、『暴力の生物学』)』〔草思社〕に記している次のような考え方(私が要約してみたもの)が参考になるだろう。
「厳罰で暴力を抑えることはできない。暴力行動を改善する鍵は、個人が、外界を適切に認識することによって、状況に見合った過不足のない行動がとれるようにすることにある。つまり、脳と環境の破壊的な相互作用をとどめなければならない。そのためには、適切な薬物治療と環境調整が必要である。刑務所は、こうした意味での改善には役立たない。後手の対策よりも予防が重要だ。母親、嬰児、幼児に対する各種のケアが最も効果的といえよう。
子どもの放火、動物いじめ、暴力的な性のイメージへの異常な関心は、目立った警報である。境界線を越え、また、大人になってしまって(脳が可塑性を失ってしまって)からでは、もはや手遅れだ。ことに、性的連続殺人は危険であり、始まってしまえば、対抗手段は隔離以外にない。
今日の被害者は、明日もなお被害者であるか、あるいは加害者になる可能性がある。子どもの虐待の防止は、焦眉の急である。
生物学(人間行動に関わる科学全般)の真の教えは、機械的な決定論ではなく、もっと謙虚なものである。人間には、動物と同様に、攻撃の本能とともに、和解や仲間作りの本能もある。私たちは、生物学的知見の適切な活用によって、暴力と報復を減少させ、問題の解決に努めるべきなのだ」
つまり、犯罪を客観的かつ冷静にとらえる眼をもつとともに、