小野一光(おの・いっこう) ノンフィクションライター
1966年、福岡県北九州市生まれ。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーに。「戦場から風俗まで」をテーマに、国際紛争、殺人事件、風俗嬢インタビューなどを中心とした取材を行う。著書に『完全犯罪捜査マニュアル』『東京二重生活』『灼熱のイラク戦場日記』『風俗ライター、戦場へ行く』ほか。最新刊は尼崎連続変死事件をルポした『家族喰い-尼崎連続変死事件の真相-』。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
東日本大震災で人がどう生き抜いたかを知るために取材、予想もできない一面を知った
私は今年3月に『震災風俗嬢』(太田出版)というタイトルで、東日本大震災の被災地で働く風俗嬢の目から見た、震災被害の状況について記した本を上梓した。
1995年の阪神・淡路大震災以降、災害取材を守備範囲にしている私は、今年4月に発生した熊本地震でも、可能な限り速やかに現場へと向かった。
4月14日の”前震”が発生した際には出張先の神戸にいたため、翌15日になってから始発の新幹線で博多駅を目指し、そこからはレンタカーを運転して移動。大きな被害が伝えられた益城町に辿り着いたのは、正午過ぎのことだった。
そこでは倒壊家屋の取材などを行い、夜には宿を取っていた熊本市へ戻ることになった。熊本市中心部も震度六強の揺れに見舞われていたが、電気や水道といったインフラには、さほど大きな被害が出ていなかったため、営業しているコンビニや飲食店も多かった。
だが、それらは翌日未明に発生した”本震”によって一変した。私自身もホテルの設備が壊れたため、野宿を余儀なくされるなど被害に遭ったのだが、さらにその日は、前日とはうって変わって飲食店は一様に店を閉じ、街中のコンビニからは食料品が消え、ガソリンスタンドには長蛇の列ができていた。
再訪した益城町でも前日は無事だった建物が悉く倒壊するなど、強い揺れが連続することにより、被害が大幅に拡大するということを、身をもって知ることになった。
これらの取材をしている最中に、同地での風俗産業を気にする余裕はなかった。熊本市内の風俗街は、最初の”前震”の翌日は通常通りに営業している店も多かったが、”本震”に見舞われた後は、断水などの影響もあり、さすがに休業を余儀なくされたということを風の噂で耳にしたが、ではそうした店舗の動向を気にして取材を申し込んだかといえば、そうではなかった。
やはり、悲劇に見舞われた被災者が数多くいるなかで、風俗産業を取り上げることは憚られるとの思いがある。実際、私も東日本大震災の取材現場では、そのような固定観念があり、最初の1カ月間は風俗産業の取材を思いつきもしなかった。
当時、取材を始めるきっかけとなったのは、4月上旬に岩手県内陸部の街で、地元の人から聞いたあるエピソードだった。
「こないだね、北上のデリ(デリバリーヘルス)で遊ぼうとしたらね、
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