倉沢鉄也(くらさわ・てつや) 日鉄総研研究主幹
1969年生まれ。東大法学部卒。(株)電通総研、(株)日本総合研究所を経て2014年4月より現職。専門はメディアビジネス、自動車交通のIT化。ライフスタイルの変化などが政策やビジネスに与える影響について幅広く調査研究、提言を行う。著書に『ITSビジネスの処方箋』『ITSビジネスの未来地図』など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
リオ五輪銅メダル、全米オープンベスト4と実り多かった今年の夏
錦織圭選手の2016年夏のビッグイベントが終わった。7月のウインブルドンベ
オリンピックについては、同大会第4シードの錦織にとって「メダルか、何もなしか」の瀬戸際のトーナメントを、最後は第3シード・ナダルの極度の疲労(長期離脱からの復帰戦で3種目出場、ダブルスは金メダル)によって「紙一重」で銅メダル(テニスでは96年ぶり)を獲得することになった。
素直な性格の錦織はインタビューで述べたとおりに日本代表として個人戦を戦った面白さを感じたのだろうし、銅メダルという結果オーライではあったが、トップ10プレイヤーとしてワールドツアーを戦い続ける中での余計な期待と余計な負荷とならないかもまた「紙一重」の出場であった。そもそも準々決勝のモンフィス(当時11位)戦もマッチポイント3本を跳ね返しての「紙一重」の勝利だった。
オリンピック直後のシンシナティ・マスターズ大会を早期敗退したことがよい準備につながっているふうではなく、1週おいて始まった全米オープンの3回戦までは1セットずつ落とし、本人も本調子でない発言を繰り返していた。
それでも4回戦を快勝し、準々決勝で世界2位のマリー戦でオリンピック準決勝の雪辱を果たすことになったものの、この試合も、試合中のアクシデント(会場の音響故障)にマリーが精神的に乱れたことも含め、もつれにもつれた最後に、一度はつぶしたチャンスをもう一度引き戻して、「紙一重」の勝利を手に入れた。
一方でこうした「紙一重」を連続する緊張感は錦織の体力を著しく消耗させ、準決勝のバブリンカ(世界3位)戦は明らかなガス欠を起こしての敗戦になった。急増した日本の錦織ファンが安易に考えるほど
論座ではこんな記事も人気です。もう読みましたか?