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“貧困女子高生”が映し出した深刻な報道の危機

「相対的貧困」への理解を欠く、日本のジャーナリズムの現状

水島宏明 ジャーナリスト、上智大学文学部新聞学科教授

 “貧困女子高生”が映し出した日本のジャーリズムの現状はかなり深刻だ。8月18日にNHK「ニュース7」のなかで「子どもの貧困が6人に一人」という数分間のニュースに登場した女子高生の問題は象徴的な出来事だった。

 貧困の当事者として顔を出し登場した女子高生がネット上に画像を貼り付けられた上にバッシングの標的になり、ファーストネームだけで登場したのにフルネームを暴かれ、自宅写真まで撮られて貼り付けられ、学校生活に関する細かい情報まで暴かれている。女子高生の同級生と思われる人物までこの暴露騒動に参加。ネット炎上といえる状態になった。

「子どもの貧困対策法」制定を求めるデモ行進
 筆者自身も5年前までの民放テレビの記者時代、貧困についてのニュースやドキュメンタリーを取材して放映した経験は数多い。その経験でいえば、一般的にテレビの視聴者は、貧困について当事者が登場するニュースに接した時、「実は貧困ではないのではないか」と疑いの目を向けながら番組を見る者がかなり多い印象がある。目を皿のようにして「本当は貧困ではないくせに貧困だと偽っている」とその証拠を探したがる。番組に登場したネットカフェ生活者や地下街で寝起きしていたホームレス男性を「実は別の場所に住んでいることを知っている。捏造だ」などと通報してくる人がかなりの頻度で存在した。

“趣味”や“楽しみ”を持つ人への容赦ないバッシング

 特にひどかったのは貧困状態にいるのになんらかの“趣味”や“楽しみ”を持つ人への容赦ないバッシングだった。年に一度のささやかな国内の温泉旅行やクラシック音楽のCD集めだったとしても、「その金を食費に回せば貧困が解消されるはず」などと当事者叩きの証拠のようにテレビ局に抗議してくる。当時はツイッターなどに画像を貼り付ける行為は今ほど多くなかったが、現在においてはテレビの画像を拡大して貼り付けるなどは手軽に誰でもやってしまう。

 今回の「貧困女子高生」バッシングも、炎上の発端になったのは彼女の“趣味”や“楽しみ”だった。NHKが彼女の自宅で撮影した映像を拡大した人物がそれを「発見」したのだ。今のカメラはデジタルで高画質だから後からいくらでも拡大できる。映像を拡大したら人気アニメのワンピースのDVDなどが映っていることが判明。女子高生はアニメが趣味で、アニメ映画の鑑賞を繰り返していたという。母親がパソコン本体は買ってあげられないからと、その代わりの練習用として1000円程度で買い与えたというキーボードも機種や値段まで暴かれ、案外高級機種だったと批判された。1000円以上のランチを食べていたことを暴露され「貧困というのは捏造ではないか」という書き込みが広がった。そうしたツイッターなどをまとめた「naverまとめサイト」や「GOGO通信」などといった自称「ニュースサイト」がそうした情報を一気に拡大させた。

 そこに片山さつき議員という、貧困者を自称する人間に日頃から厳しい視線を向ける政治家が登場し、疑惑の視線を投げかけた。

 「チケットやグッズ、ランチ節約すれば中古のパソコンは十分買えるからあれっと思い(う?)方も当然いらっしゃるでしょう」と書き、「週明けにNHKに説明もとめ、皆さんにフィードバックさせて頂きます」とつぶやいた。

 はっきりしたことは、日本社会では「相対的貧困」という概念を理解しようとしない人が、メディアや政治の世界といった影響力の大きい層にまで相当数いるということだ。生物的な意味で生存に必要な栄養を取ることができないほどの貧しさを「絶対的貧困」と呼ぶ。アフリカなどの飢餓がその状態だ。絶対的貧困の状態にある人は先進国ではほとんどいない。むしろ先進国で多いのが「相対的貧困」という状態だ。

 簡単にいえば、社会でマトモとされる生活状態を維持できないことを指す。たとえばほとんどの若者が高校に入る時代に高校に行けないというのは相対的貧困だ。あるいは中学校で体育の時間にジャージで運動するのが普通なのにジャージを買うことができないならそれも相対的貧困に入る。社会の中で同じような集団でなんらかの“趣味”や“楽しみ”を最低限度の頻度で味わうことに社会的なコンセンサスがあるならば、それがもし欠けていればやはり相対的な貧困状態といえる。経済的な事情で大学などに進学できないとしたらそれも該当してくる。

 今回、NHKの「ニュース7」が放送した女子高生「うららさん」は、イラストが大好きなのに経済的な理由で希望するイラストの専門学校への進学を諦めた。「みんなが当たり前にできることが自分だけできない」という彼女は相対的な貧困の典型といえる存在だ。

善意の当事者を守ることができなかったテレビ局

 こうした相対的貧困について、専門性のある記者が丁寧に説明する機会を作って伝えていかないと、テレビを通じて理解が広がることはますます困難になってしまう。が、筆者の経験では日本においては絶対的貧困のイメージを根強く持って相対的貧困とごちゃごちゃの議論をしてしまう人が、テレビ局のキャスターと呼ばれる人たちにさえ散見されるのが実情だ。

 今回、ネット上ではまだ未成年の彼女に「貧困を捏造している」などの批判的なレッテル貼りが一気に集中してしまった。実名や住所まで暴かれて誹謗中傷の書き込みがネット上に多数出回り、自称「ニュースサイト」がそれをさらに拡大させた。こうなるとテレビジャーナリズムの伝え手(この場合はNHKの記者がそれに該当する)からみれば、わざわざ適任者を探した末に善意でテレビの画面に登場してくれた当事者なのに結果としてテレビ局は守ることができなくなってしまう。そんなテレビ側の無力さ無責任さを露呈してしまった。

 当事者本人の立場で見てみると、顔をさらしてテレビに登場することは自らの生活を脅かすリスクにつながることが明白になった。ちょうど2年前にBPO(放送倫理・番組向上機構) の放送人権委員長(当時)だった三宅弘弁護士が「安易に、顔なしインタビューが行われてはいないだろうか」という委員長談話を発表して近年のテレビ報道での顔なしインタビュー増加の風潮に一石を投じようとしたことが記憶に新しい。

 三宅氏は当事者を説得する努力をテレビ側に求めたが、当事者が承諾して顔をさらした場合にも、結果としてこのように激しいバッシングの標的になってしまうことを思い起こすと、あの三宅発言は何とのんきなことを言っていたのかとリアリティーの欠如を痛感せざるを得ない。少し前までならごく普通の取材と考えられていた顔の露出がネット上に貼りつけられれば無限にコピーされていく現状をみれば、当事者のプライバシーを守るためにもテレビ局が慎重になる(=顔なしインタビューが多くなる)のは仕方ない時代だ。

ネットニュースのウラ取りのいい加減さを露呈

 今回の「貧困女子高生」騒動はネットニュースによる事実のウラ取りのいい加減さも明らかにした。ネットニュースサイトとしては比較的大手で業界ウラ話に強いとされるサイゾー社が運営する「ビジネスジャーナル」で、実際には女子高生の自宅にエアコンがなかったにもかかわらず、事実を確認せずに「少女の部屋にはエアコンらしきものがしっかり映っている」と書いたり、実際にNHKに取材していないのにNHKに質問したことにして、回答を捏造して載せていた。

 新聞やテレビでも絶対にないとはいえないのが残念だが、それでも滅多にありえない、いい加減なニュースサイトの「報道機関」としての危うさが次々に露呈するのは、PVの数が多いものが勝者というネットニュースのビジネスモデルが影響している。たとえ、

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