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「シン・ゴジラ」が国民的映画になった理由(下)

2020年東京五輪の演出は庵野秀明氏に期待したい

田中敏恵 文筆家

「シン・ゴジラ」の女性限定鑑賞会議で登壇した出演俳優に声援を送る観客=2016年8月24日、東京都新宿区「シン・ゴジラ」の女性限定鑑賞会議で登壇した出演俳優に声援を送る観客=2016年8月24日、東京都新宿区
  庵野秀明はきっと最初から多くの層に響く事柄を入れ込もうと思っていたのだろう。それを約2時間という尺に入れ込むために出演者たちに早口でセリフを言うことを求め、自衛隊や内閣の協力のもと、限りなくリアルな設定を追求したのだ。

  そして何よりも、普段深層心理で抱えているのではないかという諦めをスカッと解決してくれたことに、私たち観客は溜飲を下げたに違いない。映画の中の「好きにすればいい」というキーワードには、自主規制がはびこる現実ではなかなか難しい。

  低い投票率が示すまでもなく、政治離れや政治不信と言われて久しい中での政府にや自衛隊、各省庁が協同しての必死のゴジラ攻略作戦。その作戦は、アメリカの属国だとつぶやきながらも自国が編み出し、実行した作戦でもある。

  これだけでも相当に多様な様子であるが、日本という国をそして国民を感動という言葉でひとつにするエッセンスはさらにある。日本の伝統へのオマージュである。ゴジラの動きを担ったのは狂言師の野村萬斎だ。放射能を撒き散らした後、停止する寸前のゴジラの動きはすり足、まさに狂言や歌舞伎の舞台で役者がみせるそれだった。これも庵野秀明の狙いだったろう。

  10年以上前になるが、かつて庵野秀明にインタビューしたことがある。エヴァンゲリオンの中で、不安になるほどの静止画のシーンがいくつかあったのが気になっており、自身の作品においての“間”をどのように捉えているのか尋ねたのだ。曰く、予定調和になりたくない。こういうシーンではこうなるというお約束へのアンチテーゼであるということと、エヴァにとらせた間には歌舞伎でいうところの見得を切るような意識で

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