過労死ゼロ社会の実現に向け、「36協定」の許容労働時間の上限を法定せよ
2016年11月09日
電通に勤務していた新入社員の女性が昨年末に自殺したのは、長時間労働が原因だったとして労災が認定され、このことが大きく報道された。
電通といえば、24年前にも新入社員が自殺し、裁判所が、会社の安全配慮義務違反を認め、遺族への損害賠償の支払いを命じた事件がある。それから再び起きた過労自死事件という点も、大きく報道される1つの理由であったであろう。
ところが、先日、実は3年前にも30歳の男性社員が過労により自殺していたことが明らかになった。「2度目」と言われ、大きく報じられた事件が、実は3度目だったことが判明したのである。もっとも、これも分かっているだけでの数字であり、他にもあるのではないかとの疑念を抱かざるを得ない。そう思わざるを得ないほど、異常な労働環境であったことが推察されるのである。
これら一連の過労死事件を通して、電通という会社における「過労」に対する対応・認識の甘さ、適切な労務管理ができていない体質などが露呈するとともに、分かっているだけで3名もの労働者の命を奪った最悪の企業であることが明らかになったといえる。この点で、電通は、社会的にも、法的にも、厳しい制裁を受けるべきであろう。
ただ、これを電通1社の問題に矮小化することは、我が国の労働者の置かれている状況に鑑みると適切ではない。周知のとおり、過労を原因とした精神障害の労災請求数は増え続けているからだ。
上記グラフが示すとおり、精神障害の労災請求件数はこの10年でほぼ2倍となっている。今回の電通の痛ましい事件も、こうした流れの中の1つであり、過労死や過労による精神障害の発生について、国が何らの有効な対策を講じてこなかった中で起きた事件であると捉えるべきである。
その意味で、電通という誰もが知っている有名企業で起きたこの事件は、全ての労働者に現実をつきつける契機を与えたといっていいだろう。
本事件が公表されたその日、過労死白書も公表された。これに関連して、精神障害の労災基準である月間100時間の残業時間に対し、「月当たりの残業時間が100時間超えたくらいで過労死するのは情けない」との発言があった(武蔵野大学・長谷川秀夫教授の発言。その後、謝罪。)。このような発言をする大学教授の方がよほど「情けない」のであるが、悲しいことに、こうした発言に残業時間が100時間を超える日本社会の現実が垣間見えてしまう。
世の中で言われる「過労死ライン」(脳・心臓疾患は80時間、精神障害は100時間)は誰かの思いつきで定まった「ライン」ではない。専門家の間で検討を重ね、労働災害を認定する行政基準として、医学的根拠をもって存在している。この基準は司法においても尊重され、行政と同じ基準で労働と被害との間の因果関係を肯定する裁判例は数多い。
にもかかわらず、この「ライン」を超えた長時間労働は横行し、前記の通り精神障害の労災請求件数は上昇し続けている。
この原因の第一は我が国の法制度にある。まず、労働基準法上の労働時間の制限は、1日8時間、1週間40時間とされ、これを超えると刑事罰もあるなど、その規制は厳しい。ただし、この制限は「36協定」を締結することで超えることができる。この協定は、使用者が、労働者の過半数を代表する者もしくは過半数を組織する労働組合との間で結ぶものである。すなわち、労働側が許容しない限り「過労死ライン」を超えて働かせることは本来不可能である。ところが、我が国では「過労死ライン」超えの労働が横行している。このうち違法なもの(「36協定」がなかったり、「36協定」を超えて働かせたりしている場合)は論外だが、「36協定」によって過労死ラインを超える働き方が「合法」とされることも多い。これは「36協定」が過労死の抑止力として十分に機能していないことを示しており、法制度自体に問題があると言わなければならない。
また、使用者側の過労死ラインに対する意識の欠如も問題である。我が国では「よく働くこと」を美徳とする企業文化があり、
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