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元TBS・吉永春子さんのドキュメンタリーの凄み

85歳で死去、誰もが手がけないテーマに取り組み、事実を明るみに出した作り手

川本裕司 朝日新聞社会部記者

いま見ても古びないドキュメンタリーを数多く手がけた吉永春子さん=1991年拡大いま見ても古びないドキュメンタリーを数多く手がけた吉永春子さん=1991年
  23年前の12月11日、朝日新聞朝刊社会面に4段見出しで田中清玄氏の訃報が伝えられた。「政財界の『黒幕』と言われ、昭和史の舞台裏を生きた」と形容され、1960年安保では全学連の故唐牛健太郎委員長らの「岸内閣打倒運動」に資金を出したことも、記事で取り上げられていた。右翼の「政商」のこの意外な行動を暴露したのは、11月4日に85歳で亡くなった元TBSディレクターの吉永春子さんだった。

  TBSラジオで63年に放送されたドキュメンタリー「ゆがんだ青春」でそのスクープは伝えられた。政商と全学連の予想外のつながりを明らかにした番組は、今も語り継がれる伝説的な作品だ。

  吉永さんは55年、TBSに入社し報道局に配属された。毎日新聞出身の上司に鍛えられ、戦後史のナゾといわれた松川・下山・帝銀の三大事件の調査をやってみないか、とデスクから言われた。解明されていない大事件に体当たりで取材する姿勢が、実業家から学生運動への資金提供を突き止める成果につながったのは間違いない。

  テレビのドキュメンタリーでも、話題作を次々に手がけた。旧満州での旧日本軍の細菌部隊の実態を初めて明るみに出したといわれる「魔の731部隊」(75~82年)、戦時中に精神障害を患って里帰りできないまま精神科病院での入院を続ける元兵士たちを追った「さすらいの未復員」(76~85年)など、名作と評価される作品は数多い。

  いわゆる社会派というくくりでは収まらないテーマも取り上げてきた。78年に始まった「土曜ドキュメント」の初回ではキャバレー会社の猛烈社員訓練に焦点を当てた。80年スタートの「報道特集」では、アラブ・オイルマネーの日本上陸、創価学会、誠備グループの加藤暠、千葉県知事念書事件、敦賀原発の手配師グループと幅広い素材に取り組む。翌81年からはワイドショーに転じた。

  87年には吉永さんの指示で張り込んだ情報番組「朝のホットライン」が決定的な映像撮影に成功した。「TBS50年史」によると、ポスト中曽根を目ざし自民党総裁選の立候補届け出まであと2日に迫った87年10月6日朝8時すぎ、竹下登氏が東京・目白の田中角栄元首相邸の前に降り立ったものの、門が開かなかったことから車で立ち去る様子をテレビカメラに収めた。張り込み3日目の成果だった。この訪問は5年後、佐川急便事件捜査の過程で右翼団体の「ほめ殺し」を中止させる条件だったことが明らかになった。

  二十数年前、ドキュメンタリー制作者の取材で吉永さんに初めて会った。番組制作の指針を聞くと、「ありきたりの感動や感情で処理せず、冷徹に現象を見つめてその裏に潜むものを引き出すこと」という答えが返ってきた。同時に、「作り手である自身を鍛えるために、誰も触れたがらない問題に取り組み、一番いやな相手に取材することを自分に課している」とも語った。

  「魔の731部隊」の映像を見ると、731部隊にいた幹部らは過去を消し、足跡をたどれないようにして、取材が困難を極めた様子が伝わってきた。ようやく突き止めた元幹部の直撃インタビューは迫力に満ちている。

  「どうやって話を聞くことができたのですか」と聞くと、 ・・・ログインして読む
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筆者

川本裕司

川本裕司(かわもと・ひろし) 朝日新聞社会部記者

朝日新聞社会部員。1959年生まれ。81年入社。学芸部、社会部などを経て、2006年から放送、通信、新聞などメディアを担当する編集委員などを経て、19年5月から大阪社会部。著書に『変容するNHK』『テレビが映し出した平成という時代』『ニューメディア「誤算」の構造』。

 

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