「仁義なき戦い」で「芝居するな」の呪縛から解かれる
2017年03月06日
映画会社が配給だけに甘んじずにまだ自社の映画を制作していた時代、正月になればその会社の看板俳優の映画がかかった。松方さんが東映の正月映画の看板を張ったとき、その胸中を取材したことがある。
「僕は、大勢の人がエネルギーと知恵を寄せて作り上げる映画が大好き」と、松方さんは語っていた。その時分、役者として主役を務めながら、『蔵』をはじめ映画プロデューサーとしても奔走していた。映画に携われば借金を抱えるのは必至なのに、決してラクではない映画制作にこだわっていた。それは華やかかりし日本映画の黄金期を傍で見て育ったからかもしれない。
松方さんのことばの端々に「近衛さんが…」と、父である近衛十四郎のことがよく語られた。二世スターであることを「有難いこと」と、屈託なく受けとめていた。
「だってそうでしょ。人は何かを目指すとき、周囲の後ろ盾がなければ、とんでもなく遠回りしなければならない。撮影所にも、‘大部屋’から下積みをしている役者さんはいっぱいいます。それに対して僕は親のおかげで役者として要らぬ苦労をせずに引き上げてもらえた、これって有難いことですよ」と、あのハイテンションで語りながら、「でも、17歳でこの世界に入れたにもかかわらず、近衛さん(親父)が亡くなる32歳の年まで、随分横着な生き方をしていた」と、忸怩たる想いを偲ばせていた。
撮影所では「近衛さんがいるからお前やっていられるんだよ」などとスタッフから陰口を叩かれ、演技をすれば「芝居はしなくていいよ」と監督に言われ、鬱屈とする日々が続いた。
「あの頃の僕は、芸がしたくて120の力を出そうとむきになっていた。そんなの観ているほうは窮屈ですよね。15年間も自分勝手なお芝居をしていたなぁと、今更ながら恥ずかしく思います」と自嘲気味に笑っていた。撮影所でのフラストレーションと、
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