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まずは法廷通訳人の職業倫理規定から

長期的には公的な資格認定制度を設けるべきだ

武田珂代子 立教大学異文化コミュニケーション学部教授

 昨秋、ある刑事裁判でインドネシア語通訳人による誤訳が話題になった。通訳の質が疑問視され、裁判所が鑑定を依頼したところ、訳し漏れや誤訳が100カ所以上あったという。鑑定によって誤訳などの補正が行われたとし、尋問のやり直しは行われなかった。米国司法制度の中で20年以上通訳に携わった経験のある筆者がまず思ったのは、「米国だったら、適正な手続きを受ける権利が奪われたとして、被告側がすぐに無効審理を請求し、州や国を訴えることもあるだろうに」ということだった。

中国人留学生殺害事件の判決言い渡し前の法廷。書記官(前列)の右隣が通訳人の席
 実際、米国で1978年、「法廷通訳人法」制定につながるきっかけになったのは、不適切な通訳が問題となったネグロン事件である。殺人の有罪判決を受けたプエルトリコ人が、通訳人がいないために弁護人と話ができず、公判手続きもスペイン語による要約的な通訳がわずかに提供されただけで公正な裁判を受けられなかったとして控訴し、有罪判決が覆ったというものだ。より最近では、2005 年カナダでパンジャブ語通訳の質があまりに悪かったがために、傷害事件の審理が無効になっただけでなく、数年後、法廷通訳人の訓練や管理を怠ったとして、被告人側がオンタリオ州を相手に集団訴訟を起こす事例があった。

 さて、インドネシア語法廷通訳の話に戻ろう。この事件がメディアで取り上げられてから、「どうしてこんなひどい状況が生まれるのか」といった質問を何度か受けた。簡単に言ってしまえば、法廷通訳人としての基本的能力を持たない人が通訳をしていたということなのだろう。この問題は二つの側面から検討可能だ。

倫理規定の存在しない日本

 まずは、雇われた側、通訳人本人の問題だ。法廷通訳人の職務倫理規定では通常、「守秘義務」「正確性」「中立性」「プロらしい振るまい」「能力と資格の誠実な表示」「継続的な研鑽」などが謳われている。今回は、自分の能力を明らかに越える仕事を引き受けたということで、「能力と資格の誠実な表示」に触れた可能性がある。といっても、世界各国にあるような法廷通訳人の倫理規定はいまだ日本には存在せず、この通訳人もプロとしての職務倫理意識がそもそもなかったのかもしれない。

 また、そうした通訳人を雇った側、裁判所の問題がある。米国やオーストラリアなどと違い、日本では法廷通訳認定制度が整備されておらず、通訳技能や司法の知識に関する試験が行われていない。法廷通訳に興味がある人が裁判所に連絡し、面接、導入説明を受け、通訳人候補名簿に登録される。裁判所はこの登録者に対し研修を行う。

 実際に通訳人に仕事の依頼をする場合、

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