「共同通信の配信した医療記事が実質『広告』」と報道、今後越えねばならない数々の壁
2017年04月04日
既存のメディアにとらわれずに、調査報道のあり方を模索する新たな試みが進んでいる。早稲田大学ジャーナリズム研究所が運営するワセダクロニクルだ。元朝日新聞社の記者だった渡辺周氏が編集長を務め、この2月に第一弾がネットに掲載された。この試みは日本のジャーナリズムの真価を問うだけでなく、調査報道の存在価値が社会に受け入れられるかどうかの試金石でもある。私自身、朝日新聞時代に調査報道に力を入れて取り組んだひとりとして心から応援したいし、退潮の一途をたどる国内メディアの調査報道に代わって、新たな道を切り開いてほしいと期待している。
ところがこの記事の下敷きとなった説明資料は、広告代理店の最大手である電通の100%子会社に事務局を置く団体が作成し、それを社団法人共同通信の100%子会社を通じて、共同通信の編集委員に提案されて記事が配信された(※)。広告記事であるならば何ら問題はないのだが、これを一般記事として配信するのは、マスコミとしての倫理を大きく逸脱している。何より客観性が担保された記事だと信じて読んでいた読者を裏切ることになる。
メディアのあり方を問う記事としては大切な問題を内包する特ダネだ。文体も新聞記事より読みやすい。提示した事実の根拠や取材日時などを[注]として明記しているのは、ウォーターゲート事件をスクープしたボブ・ウッドワードが9・11を契機に戦争に突入するまでのジョージ・ブッシュ元大統領らの行動を描いた「ブッシュの戦争」(日本経済新聞社)を彷彿とさせる新しいスタイルだ。
だが、手放しでは喜べない。ワセダクロニクルが新しい試みを成功させるためには、いくつかの高いハードルを越えなければならない。まずは、業界用語でいう「ネタ」をどれだけ集められるか問われている。
今回のワセダクロニクルの調査報道が、その価値を世に問う初発のテーマとして一級品の「ネタ」ではないことは、渡辺編集長もわかっているはずだ。昨年3月に情報をつかんだというが、1年をかけて取材したわけではない。いろんなテーマを天秤にかけて取り組み、このテーマが第1弾として放つものとして最もふさわしいと判断したのだろう。
だが、うがった見方をすれば、この1年間で、このネタを上回るテーマを得られなかったということではないだろうか。
私の経験から言えば、調査報道に最も大切なのは内部情報提供者の存在だと思っている。政治家や企業などの組織の内部にいる人物からの不正の告発だ。私が
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