技術、動き、脚運びや滑り姿の美しさ、体重移動の滑らかさ…
2017年04月18日
4月10日、浅田真央の突然の引退発表、続く12日の記者会見には、日本中が大きな衝撃を受けた。
昨年(2016年)12月の全日本選手権12位、という結果を受け、多くの人は「真央ちゃんはもうダメなのか」「オリンピックは無理だろう」と思ったかもしれない。しかし、彼女の得体のしれない力を間近で見てきた者たちにとっては、かえって来シーズンのオリンピックへの挑戦は、とてもとても楽しみになっていたのだ。
最後の戦いは、全日本でのどん底の成績を受け、地方予選から、勝ち抜かなければならなくなった。そんなサバイバルを、9月で27歳になる浅田がどんなふうに戦っていくのか。10代の選手たちが席巻する現在のスケート界に、「大人の真央」の演技はどんな影響を与えるのか。ほんとうに楽しみにしていただけに、「引退」の2文字は、二の句が繋げないほどのショックだった。
まずは彼女が現役を続行していたら、見せてくれたはずのものについて考えてみたい。以下の稿の大半は、1月10日配信の「浅田真央をトリプルアクセルにこだわらせたもの――跳ベ跳べ、と彼女の背中を押してきたメディア」に続く記事として、今季終了後に記していた文章を改稿したものである。
まだ小学生の彼女が、3回転―3回転―3回転の連続ジャンプに挑戦したとき。その跳躍の軽やかさもさることながら、「跳べたよ!」と笑顔がいっぱいに弾けるさまが、私たちを強く惹きつけた。
トリプルアクセルが跳べるようになったら、次は4回転!と、もう跳びたくて跳びたくてしかたがない。「真央にはまだ早いから、試合ではダメよ」と、当時の山田満知子コーチに諭されて、ぷりぷり怒っている彼女もまた、かわいらしかった。
ただジャンプがすごい、だけではない。跳べる喜びはそのまま音楽に乗り、手も足も生き生きと氷の上を舞った。あんなに心から楽しそうにスケートをする選手を、ジュニアのころの浅田真央のほかに、まだ見たことがない。
もちろん笑顔の影には、十数年ひたすら積み上げてきた日々がある。その努力を無にしたくないのだろう。そこから何年経っても、浅田はトリプルアクセルを諦めようとはしなかった。
「私がマオを初めて見たのはね……」
欧米のベテラン記者たちも、浅田を語らせると饒舌だ。どの国のファンもよく知っているマオ。みんながずっと見てきたマオ。こんなに世界中で愛されている選手も珍しい。そして誰もが懐かしそうに言う。
「あのころのマオは、本当に軽々とジャンプを跳んで。マオのトリプルアクセルを、みんなが見たくて……」
やはり誰の心の中でも、浅田は「アクセルを跳ぶ少女」だった。男子の4回転と違い、ほとんど誰も跳ばない時代から、ずっと挑み続けてきたジャンプ。「マオがアクセルを跳ぶかどうか、成功するかどうか」は、常に試合のいちばんの見どころだった。
世界中の関係者、世界中のファンにとって、彼女は「トリプルアクセルのマオ」なのだ。
だから最後まで、「彼女の思い通りに跳ばせてあげよう」という声も大きかった。
限界を超えたチャレンジを美しい、と考える人は、特に日本では多い。
メディアの影響もあり、多くの人はジャンプを中心にフィギュアスケートを見、コーチ陣やスケート連盟など、日本のフィギュアスケート界も、ジャンプ重視の風潮は高いように見える。
やはり彼女は、最後までトリプルアクセルに挑戦するべきだったのだろうか?
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