9年ぶりに日本選手権に復帰する伝説のランナー末続のモチベーション
2017年06月05日
パリ世界陸上決勝で、黒人スプリンター7人に囲まれながら直線で彼らをかわしてフィニッシュしたレースは、日本陸上界の伝説とされ、同年に樹立した日本記録20秒03はいまだに破られていない。08年北京五輪四百メートルリレーで、銅メダルを獲得した2走としての走りも語り継がれる。
5月に米・テキサス州で行われた記録会で200メートル20秒94をマーク。日本選手権の参加標準記録20秒95を突破すると同時に、地域選手権での参加資格2位以内(熊本選手権)を満たしていたためエントリーが可能に。6月23日から大阪・ヤンマースタジアムで行われる日本選手権の資格審査は6月上旬にも決定する。
細身のスプリンターが壁を突破する姿に何度も驚かされてきた。しかし今回ほど驚かされる復帰もない。北京で共に銅メダルを獲得した朝原宣治が当時35歳で驚異的な走りを見せたが、それとはまた違った伝説だろう。
北京五輪以降2年もの長期休養を取って「走るために走りたい」と、故郷・熊本に拠点を移し、その後は長年支援を受けたミズノを退社。かつてはハードな練習を信条としただけに、未知のトレーニングを開拓しなければならなかった。時に根を上げ、足と体全体を経験のない「違和感」に襲われる。「伝説の人が今や・・」「とっくに辞めていたのかと思った」そんな評価ももちろん耳に届く。
しかし末続は楽しそうに話していた。
「0.1秒でも1センチでもちょっとでも速くって、小さい頃のかけっこの気持ちのままです。歳を取ると理由の分からない違和感がどんどん出るんですが、それを今の走りに活かせるのが現役ってことなのかな、と」
未踏を歩かなければ決して出なかった言葉だ。昨年、熊本地震で被災した際、あまりの揺れにとっさにバッグに身の回りの物を詰め込んで車で飛び出したが、入っていたのはシューズとウエアだけ。後で中身を確認して自分でも笑ってしまったという。
トップアスリートの取材をしていると、実年齢に加え「アスリート年齢」が存在しているのではないかと思うようになる。トップ選手の華やかで輝かしい栄光の瞬間を私たちが見るのは「氷山の一角」に過ぎず、ほとんどのぶ厚い氷の下は見ることも、触れる機会もない場所だ。疲労、プレッシャー、周囲の期待、ケガ、スランプ・・・。彼らが乗り越えた困難はほとんど知られない。実年齢が肉体だとすれば、アスリート年齢は精神の大きな部分を形成する要素だろうか。
能代工で9冠の偉業を達成し、単身アメリカに渡ったバスケットボールの田臥勇太もまた、末続と同じ1980年生まれ、今年37歳になる。ついに始まったプロリーグで初代王者に輝き、業界そのものをけん引し続けた。
米国に行った当初は言葉が分からず、しかも学業で練習参加が決定する方式のため、体育館ではなく図書館通いを続けた。ヘルニアも見つかるなど2年は満足にプレーができなかった。3年半で中退し一度帰国し日本でプレーをしたが、NBAに挑戦するため渡米。173センチの身長、決してパワーあふれる体格ではないが、独立リーグから初の日本人としてNBA「フェニックス・サンズ」のコートに立った。4試合で解雇され、以降は独立リーグ、NBA傘下のリーグをチャンスを掴もうと渡り歩き08年に日本に復帰した。
Bリーグのファイナル準々決勝、強敵・川崎には一時22点もリードを奪われた。この試合に勝って準決勝を決めた直後、田臥に「接戦が多く、精神的にも肉体的にもかなり疲れているのではないか」と聞いた。
「いえ、楽しくって仕方がありません」
起用方法、自分への評価と容赦ない競争に
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください