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ドラマ『やすらぎの郷』の成功の背景を読み解く

倉本聰の脚本が描く戦後芸能界の価値観による「終活」コンテンツ

小野登志郎 ノンフィクションライター

ドラマ『やすらぎの郷』の一場面。右から浅丘ルリ子、石坂浩二、加賀まりこ=テレビ朝日提供拡大ドラマ『やすらぎの郷』の一場面。右から浅丘ルリ子、石坂浩二、加賀まりこ=テレビ朝日提供
 「じゃあ今なら私とも、まぐわえる?」

 ひと昔前のアダルト誌にでもありそうな言葉、とでもいうべき、いささか品のないセリフだが、これが平日の昼食の時間帯で放映されるドラマの冒頭部分のセリフだといえば、ドラマを知らない人はビックリだろう。しかも、発したのは大物女優の浅丘ルリ子である。

 大物芸能人専用の老人ホームを舞台に描かれる、かつての大物芸能人たちが繰り広げるドラマ、『やすらぎの郷』(テレビ朝日系)。芸能界のグッド・オールド・デイズにおいて活躍した大物たちが一堂に会し、そのドタバタぶりを華麗に描くところが支持されている。

 この作品は、超高齢社会における芸能人の「終活」自体が、これからの芸能界においてひとつの重要なコンテンツたりうることを示しているが、医療の発達により「死ねない」社会が来ている現状のなか、老いや黄昏をどう芸能は描くのか、というところで、新たな視座を得たといってよいだろう。

  ネットでのこのドラマ評では、下ネタや芸能界の裏事情に関するあられもない暴露話が満載だ、という話が大きく語られている。批評的な文章を拝見しても、性的な赤裸々さ、エゲツなさを軸にしてドラマを語っているものが多い。下ネタのどぎつさを煽るか、ジェンダー的に厳しい視線を向けるにしても、やはりドラマのどぎつい部分を軸に語っている。

  実際、あられもない下ネタ、「赤まむし」がどうとか「ギンギン」という話や、冒頭でも記したセリフだが、石坂浩二に「わたしとまぐわえる?」と聞く(現実において石坂の元妻である)浅丘ルリ子のものだが、なかなか強烈なのだ(第85回)。

  また、脚本家としてホームに入る、という役どころを務める石坂浩二が自らを一人称で語るような構成のため、彼を軸にかつての大女優たちがきゃぴきゃぴする、一種のハーレムものなのか!?というあられのなさ=要するに脚本の倉本聰が、自分を石坂浩二に投影している、というのが見え見えなところから感じられる、大物脚本家の強烈な自意識もまた、ドラマが強烈なインパクトを与えるのに一役買っているだろう。

  これら、ネットでの「炎上」を狙っているかのような強烈なネタの数々は、おそらく初めてこのドラマを見た方がいたとすれば、衝撃を受けることはうけあいだ。

  大女優・野際陽子の出演中の逝去など、リアルとドラマが想像を超えたところでクロスオーバーした、ということもあり、その点でも視聴者の目を引きつけている。

  だがシルバーな方々というのは、昔から、若い時の話を大言壮語するものではないか。

  だから、このドラマを読み解くためには、強烈な下ネタや暴露ネタの話だけではなくて、戦後芸能界の栄光を担ってきた芸能人たちが、その若年~壮年期にいたるまで、どのような価値観で、何をして生きてきたのか、ということを問い直す、という観点があってよいのかとも思った。

  実際、人生の問い直しが「終活」ドラマである『やすらぎの郷』の真骨頂だが ・・・続きを読む
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筆者

小野登志郎

小野登志郎(おの・としろう) ノンフィクションライター

1976年、福岡県生まれ。早大中退後、フリーのライターとして執筆活動を始める。在日中国人や暴力団、犯罪などについて取材し、月刊誌や週刊紙に記事を掲載している。著書に『龍宮城 歌舞伎町マフィア最新ファイル』『ドリーム・キャンパス』『アウトロー刑事の人に言えないテクニック』など。

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