19年前と同じ9秒99で止まった速報値が示したわずか10センチの、大きな前進
2017年09月20日
「10秒00にならないように祈っていました」
速報値に大喜びより先に、胸の前で手を合わせるような仕草で本当に祈っていた姿はこの19年の短距離界を象徴するようなシーンだった。恐らく、短距離界の誰もが同じように9秒99を見つめ、祈り続けたに違いない。桐生にとってはこの4年の、日本陸上界にとっては実に19年の重圧から解放されたのは9秒98(追い風1.8メートル)の正式記録が表示されてからだった。
「9秒99」は、日本短距離界を19年に渡って苦しめてきたトラウマとも呼べる数字だからだ。1998年バンコク・アジア大会男子100メートル準決勝も、速報値は9秒99(追い風1.9メートル)だった。シーズンオフの12月の大会開催、しかも準決勝だったためマークした伊東浩司(現在、日本陸連強化本部長)さえ「まさか・・・」と驚き、喜びのあまり何度もジャンプしたが、直後に出された正式記録は10秒00に。スタジアム中が表現できないような大きなため息に包まれたのを覚えている。
当時の9秒台は全てアフリカをルーツとする黒人選手がマークした記録で、非黒人選手ではアジア人の伊東が初めて9秒台をマークするかという大記録は幻に終わり、0秒01、距離ならわずか10センチ後ろに下がる結果となった。結果的にこのとてつもなく手強い10センチに19年苦しめられたわけである。
心身とも軽くなった体で走り回る桐生を見て、あの時の9秒99から今度はやっと10センチ前に踏み出したという感慨に、壁突破の感動や桐生への称賛と同時に「短距離界の皆様、どうもお疲れ様でした」と言いたくなった。19年もの間、10秒の、10センチの壁突破にかけて日本短距離界の総力をあげて全員スクラムを続けたようなものだ。
03年、非黒人選手で初めてパトリック・ジョンソン(豪州)が
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