サッカー・ワールドカップロシア大会の全出場国32カ国が決定
2017年11月20日
1997年11月16日、マレーシアのジョホールバルで98年W杯フランス大会アジアの第3代表をかけ日本とイランが118分もの激闘を繰り広げた。先制し、同点にされ、さらに逆転される苦しい展開のなか同点に追いつき延長へ。延長後半13分、当時採用されていたVゴール方式で岡野雅行が決め、日本代表初のW杯出場の扉がついに開かれた試合である。
あえて書かなければならない状態はむしろ大歓迎すべきだろう。日本が実に最後から2番目の国(32カ国出場)として出場を決めるような困難など知らない、そんな事態とはもう無縁になったという証なのだから。
激闘の重さは、今も選手たちの皮膚感覚にまで沁みこんでいるかのようだ。取材でも試合を118分間見直している、と振り返る選手は不思議なほどほとんどいなかった。磐田の名波浩監督(44)が見直したのは今年に入って、しかもサッカーをする長男との会話からだった。こう話している。
1試合の中であれほど心が揺さぶられ、感情の起伏が激しかったゲームを経験していない。いい試合だとは思っていたが、息子の言葉がなければ見ないままだったかもしれない」
やはり監督となった町田の相馬直樹監督(46)もまた、同じように言う。
「自分の頭にある映像を、実際の映像によって変えてしまいたくなかったのだと思う」
観なかったからこそ、映像も、記憶も、また思いも深く心に刻まれ続けているという意味だ。主将だった、福岡の井原正巳監督(50)、日本サッカー協会技術委員となった山口素弘氏(48)は「この20年間、あの体験より辛いことはなかった」と振り返る。
岡田武史監督、試合に出場したメンバー、サブだった選手、ベンチに入らなかった選手、スタッフ、全員で勝ち取ったW杯初出場の切符は特別なものだった。当時の思いが彼らのなかでどう刻まれたのか
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