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[5]直前予知凍結後の南海トラフ地震対策は?

東海地震のみに着目した警戒宣言に基づく防災対応から、南海トラフ全域対象に転換

福和伸夫 名古屋大学減災連携研究センター長・教授

12月に多く発生する南海トラフ地震

拡大南海トラフ地震を想定し、被災家屋から取り残された人を助け出す訓練=11月27日、堺市北区

 今月12月は前回、前々回の南海トラフ地震が発生した月に当たる。前回の昭和の1944年東南海地震と1946年南海地震は12月7日と21日に発生、前々回の1854年安政東海地震と南海地震は12月23日と24日(新暦)に発生した。なぜ冬に多いのかについては、日本海側の積雪や黒潮の蛇行の影響など諸説あるようだ。南海トラフ地震の発生前後には、西日本を中心に内陸直下で数多くの地震が起きる。このためか、昭和の地震は戦中戦後の混乱期、安政の地震は幕末の混乱期と、歴史が大きく変わる時期に重なる。

東海地震説と大規模地震対策特別措置法

 フィリピン海プレートとユーラシアプレートのプレート境界で発生する南海トラフ地震の震源域は、東から東海地震、東南海地震、南海地震の震源域がある。昭和の地震では東海地震の震源域のみ活動しなかったことから、1976年に石橋克彦氏が早期の地震発生を危惧し、駿河湾地震説(後の東海地震説)を提唱した。当時は、1974に伊豆半島沖地震が発生し、1975年に中国で起きた海城地震で地震予知が成功したと喧伝され、1976年8月18日には河津地震が発生した。初めて東海地震説が報道されたのは、その翌週の8月24日である。1978年1月には伊豆半島近海沖地震が発生し、静岡県民はパニックのような状況に陥った。

 こういった中、1978年6月に、福田赳夫総理、桜内義雄国土庁長官、静岡県選出の原田昇左右議員、山本敬三郎静岡県知事などの尽力で、大規模地震対策特別措置法(大震法)が成立した。同法は第一条に、「大規模な地震による災害から国民の生命、身体及び財産を保護するため、地震防災対策強化地域の指定、地震観測体制の整備その他地震防災体制の整備に関する事項及び地震防災応急対策その他地震防災に関する事項について特別の措置を定めることにより、地震防災対策の強化を図り、もつて社会の秩序の維持と公共の福祉の確保に資することを目的とする」と記されている。

 大震法は、東海地震の直前予知を前提にした法律であり、甚大な被害が生じると予想される地域をあらかじめ地震防災対策強化地域として指定し、地震の発生が切迫する状況になったら、内閣総理大臣が強化地域での様々な社会活動を制約する警戒宣言を発することを定めている。さらに、地震予知に必要となる地震観測体制の整備や、事前の地震防災体制、警戒宣言発令時の対応なども定めている。地震の直前予知を前提に、警戒宣言発令後の緊急的な行動を地震防災強化計画や地震防災応急計画によって定めておくことで、被害を軽減することを目指している。

ブループリントから大震法まで

 我が国において地震予知が本格化したのは、坪井忠二、和達清夫、萩原尊礼の3人の地震研究者が代表を務めた「地震予知計画研究グループ」が1962年にまとめた報告書「地震予知―現状とその推進計画」(通称・ブループリント)に遡る。報告書では予知を実現するための具体的な道筋を記述し、最後に「地震予知がいつ実用化できるか、すなわち、いつ業務として地震警報が出されるようになるか、については現在では答えられない。しかし、本計画のすべてが今日スタートすれば、10年後にはこの間に十分な信頼性をもって答えることができるであろう」と記した。この一節が、10年で地震予知ができると誤解されて報じられた面も否めない。

 ブループリントを受けて、1963年に、文部省の測地学審議会に地震予知部会が設置され、日本学術会議も「地震予知研究の推進について」の勧告を発表した。その直後の1964年に新潟地震が発生し、測地学審議会が「地震予知研究計画の実施について」という建議を提出し、この建議を第1次計画として1998年に終了した第7次計画まで地震予知計画が継続された。予知計画の終了には1995年阪神・淡路大震災後の影響もある。この間、1965年松代群発地震、1968年十勝沖地震、1978年宮城県沖地震が発生し、1969年に地震予知連絡会(予知連)が設置され、1970年に観測強化地域や特定観測地域を指定した。1974年には科学技術庁に省庁調整のための地震予知研究推進連絡会議が設置され1976年には地震予知推進本部に改組された。また、1977年には、地震予知連絡会の内部組織として東海地域判定会が設置された。

 まさに、大震法が作られた1978年は、学術的にも科学行政的にも地震予知の機運が最も高まったときであり、それに静岡県下での地震の続発、東海地震説、中国での予知の成功などが重なって、地震予知を前提とした大震法策定へと結びついた。大震法成立後は、予知連の東海地域判定会は、気象庁の地震防災対策強化地域判定会に引き継がれ、気象庁が前兆滑りの検知のため24時間態勢で観測を続けている。

時代が後押しした(?)地震予知

 ブループリントがまとめられ、地震予知が推進された時期は、地球の壮大なモデル・プレートテクトニクス理論が確立された時に重なる。地球の営みがどんどん明らかになり、小松左京のSF小説「日本沈没」(1973年)も刊行され、地球科学バラ色の時代であった。ちなみに、プレートテクトニクスは、1912年にヴェゲナーが「大陸移動説」を唱え、1915年に「大陸と海洋の起源」を著したことに遡る。

 ウェゲナーは、南アメリカ大陸の東海岸線とアフリカ大陸の西海岸線がよく似ていることに気づき、地質学・古生物学・古気候学などの資料を元に、すべての大陸は1つの巨大大陸「パンゲア」であったこと、約2億年前に分裂して別々に移動し、現在の大陸配置になったことを主張した。しかし、大陸移動の原動力の説明が不十分だったため彼の主張は受け入れられなかった。1928年には、アーサー・ホームズが移動の駆動力として「マントル対流説」を唱えたが、大陸移動説は相変わらず受け入れられることはなかった。

 しかし、その後、海底地形の調査や、地震発生地図、古地磁気の研究などが進捗し、1962年に海嶺から岩盤が生み出され両側に海底が拡大するという「海洋底拡大説」が提唱された。さらに、 ・・・続きを読む
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筆者

福和伸夫

福和伸夫(ふくわ・のぶお) 名古屋大学減災連携研究センター長・教授

1957年に名古屋に生まれ、81年に名古屋大学大学院を修了した後、10年間、民間建設会社にて耐震研究に従事、その後、名古屋大学に異動し、工学部助教授、同先端技術共同研究センター教授、環境学研究科教授を経て、2012年より現職。建築耐震工学や地震工学に関する教育・研究の傍ら、減災活動を実践している。とくに、南海トラフ地震などの巨大災害の軽減のため、地域の産・官・学・民がホンキになり、その総力を結集することで災害を克服するよう、減災連携研究センターの設立、減災館の建設、あいち・なごや強靭化共創センターの創設などに力を注いでいる。

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