軽量で取りこぼし目立ったが、優勝9回のNo.2力士の引退
2017年12月19日
過熱報道、それを批判する論評、被害者とその師匠の言動や様々な憶測等、事実として公の組織が認定していないそれら一切をここでは触れない。ただ暴行の疑いのある書類送検が1件なされ、加害を認めた公益法人の著名な職員が、責任をとって退職し現役スポーツ選手を退いた。事実はこれだけである。
この10年大相撲の屋台骨を支えてきた日馬富士こと青年・ダワーニャミーン・ビャンバドルジ氏がこれまでになしえてきた事実に対して、あらためて整理してみる。
日馬富士(当時、安馬(あま))は16歳で入門し、大関まではスピード出世を遂げた。1場所遅く入門し1歳年下の白鵬がそれを上回る記録的スピードで出世し、新十両で1場所逆転、大関昇進に2年半、横綱昇進に5年半の差をつけられた。三賞(殊勲賞・敢闘賞・技能賞)受賞11回は横綱昇進力士では史上2位と「健闘」のイメージの強い若手力士であり、25歳前での新大関は十分に若かったが、大関のまま終わる印象だった。
幕内力士随一の軽量(身長は幕内力士の平均以上)と突き押し中心のリスキーな相撲ゆえに横綱を期待できるイメージは薄く、4年間大関を務めたのちに連続優勝して昇進できた(実際に史上5位の‘遠回り’昇進)としても、のち5年間横綱を務め上げるとは考えにくい力士だった。
大関昇進以来、ほぼ年1回ペースで優勝を遂げ、それ以外の場所では大関時代に8~10勝、横綱時代に10~11勝で終わる、当たりはずれの大きな力士だった。横綱勝率0.727は、年6場所制で全在位期間を過ごした横綱28人(現役を含む)中16位と「並み」だ。とくに前半戦の取りこぼしが目立ち、金星提供40個は史上2位、1場所あたりの金星提供1.29個は昭和以降100年弱で5位という不名誉な結果を残した。
これは油断や空回りといったメンタルの問題ではなく、軽量を補う強力な足腰のバネのせいで相撲が雑になり、「突き刺さるような」と評された低重心の突進が、下位の力士相手には自分でバランスを崩してしまっていたことによる。同等以上のスピードを持ちバランスも崩さなかったのが朝青龍と白鵬であった。
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