メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

[12]トリクルダウンは、やっぱり無かった

生活保護基準引き下げと政治の失敗

稲葉剛 立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科特任准教授

5年ごとの生活保護基準見直し

 2012年12月に自民党が政権復帰し、第二次安倍政権が発足して、丸5年が経過した。

 私は安倍政権がスタートして一番初めの「仕事」が、自民党の政権公約を実現するための生活保護基準引き下げであったことを問題視し、批判してきた。

 それから5年。また生活保護基準の見直しが政治課題となる時期がやって来た。

 生活保護制度のうち、食費や光熱費など日常の生活費に充てる生活扶助の基準は5年に一度、見直すことになっている。生活扶助の基準は、世帯の人数や年齢、居住地域によって異なり、その基準の変更は、厚生労働省に設置された有識者による審議会(社会保障審議会生活保護基準部会)の議論に基づき、厚生労働大臣が決定する仕組みとなっている。

 生活保護基準部会が今年12月14日に公表した報告書は、現在の生活扶助の基準と所得階層の最も低い10%の一般低所得世帯の消費支出を比較し、その差が最大で13.7%にのぼっているとの内容になっていた。生活扶助基準が一般低所得世帯の消費支出より相対的に「高い」ので、基準の方を引き下げることを示唆する内容になっていたのだ。

 12月初旬、この報告書の素案が明らかになり、最大1割の基準引き下げの可能性があることが報道されると、ネットを中心に反対の声が急速に広がった。与党内からも慎重な対応を政府に求める動きが出てくるようになった。

引き下げ反対署名を厚生労働省に提出

 生活扶助の基準は、前回(2013年)の見直しで、平均で6.5%、最も引き下げ幅の大きい世帯で約1割、引き下げられている。前回の引き下げの際には、全国の1万人以上の生活保護利用当事者が行政不服審査法に基づく不服審査請求を行い、その一部は違憲訴訟に移行。現在、29の都道府県で生活保護基準引き下げ違憲訴訟が争われている。

 2016年には全国各地の引き下げ違憲訴訟を応援するため、「いのちのとりで裁判全国アクション」が設立され、私も同アクションの共同代表の一人を務めている。

 「いのちのとりで裁判全国アクション」では、今回の見直しで更なる生活扶助基準の見直しや、ひとり親家庭に支給されている母子加算の削減が行われるのではないかと警戒し、今年10月下旬から「生活保護制度の充実を求める緊急署名」を募集していた。

 緊急署名で要望している項目は、以下の4点である。

1.社会保障と教育への予算配分率を先進ヨーロッパ諸国並みに引き上げてください。
2.生活保護世帯の子どもの大学・専門学校等への進学を認め、低所得世帯の学費減免と給付型奨学金を拡充してください。
3.生活保護の母子加算の削減や級地の見直し等さらなる生活保護基準の引き下げをしないでください。
4.生活扶助基準・住宅扶助基準・冬季加算を元に戻し、夏季加算を創設してください。

 緊急署名は、オンラインでも署名できるようにしていたが、12月に入り、更なる基準引き下げに関する報道が増えると、急速に署名が広がっていった。

 今年12月15日、私は、同じく同アクションの共同代表である雨宮処凛さんや生活保護の利用当事者ら共に、厚生労働省に赴き、緊急署名の第一次集約分17471筆分を提出した(写真1)。

拡大写真1

 署名提出の後、厚生労働記者会で行った記者会見(写真2)では、生活保護の利用当事者も3人参加し、各メディアに「生活保護利用者の生活実態を知ってほしい」と訴えた。

 そのうちのお一人、精神障害を抱える男性は、障害者運動で用いられてきた「私たち抜きで私たちのことを決めないで」というスローガンを紹介し、当事者の声を聞こうとしない厚生労働省の姿勢を批判した。

「一般低所得世帯の消費支出<生活保護基準」をもたらした「3つの失敗」

 私は、記者会見の場で、「下位10%の一般低所得世帯との比較」という手法は「悪魔のカラクリ」であると批判した。また、記者とのやりとりの中で、「生活保護基準の引き下げは、失政の責任を貧困層に転嫁するもの」と発言した。なぜそう言えるのか、を以下に詳しく説明したい。

拡大写真2

 下位10%の一般低所得世帯の消費支出と比較して、生活保護基準が相対的に「高い」から基準の方を下げる、という論理は、おそらく一般の人々の心情に合致するものであろう。ネット上でも、反対の声がある一方、「下げて当然」という意見も多数見られる。

 だが、生活保護基準とは、私たちの社会で「健康で文化的な最低限度の生活」(憲法25条)を送るために、「これ以下の貧困はあってはならない」という最低ラインを定めた基準である。

 「一般低所得世帯の消費支出<生活保護基準」というデータから私たちが読み取り、考えなければならないのは、「なぜ、最低ラインを下回る貧困が放置されているのか」という点ではないだろうか。

 この点について、記者会見(写真3)で発言をした生活保護利用者の女性も、「自分自身の生活も苦しいが、同時に厚生労働省に問いたいのは、最低限度の生活に必要な支出すらできない状態にある人びとがいることを把握しながら何もしないのか、ということ。賃金を上げる、生活保障を拡充するなどするべきではないでしょうか。」と発言していた。

拡大写真3

 なぜ、一般低所得世帯の生活がこんなに苦しいのか。私はそこに3つの「政治の失敗」があると考えている。

 1つ目は、アベノミクスの失敗である。

 一般低所得世帯の消費支出が生活保護基準を上回ることもできないほどに低迷している、という事実は、アベノミクスによりトリクルダウン(富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が滴り落ちるという経済理論)が起きなかった、ということの証左に他ならない。

 アベノミクスは多くの人々の期待を集めてきたが、少なくとも下の10%の人々の貧困を改善するには役に立たなかったということだ。

 2つ目は、年金政策の失敗である。

 日本政府は国連の社会権規約委員会から繰り返し「貧困を削減するために最低保障年金の導入が必要である」という趣旨の勧告を受けながらも、その勧告を無視してきた。近年、「下流老人」と言われる生活保護基準以下や生活保護と同程度の生活水準で暮らさざるをえない高齢者は増加し続けており、 ・・・ログインして読む
(残り:約2772文字/本文:約5324文字)

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。
Journalismの記事も読めるのは全ジャンルパックだけ!


筆者

稲葉剛

稲葉剛(いなば・つよし) 立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科特任准教授

一般社団法人つくろい東京ファンド代表理事。住まいの貧困に取り組むネットワーク世話人。生活保護問題対策全国会議幹事。 1969年広島県生まれ。1994年より路上生活者の支援活動に関わる。2001年、自立生活サポートセンター・もやいを設立。幅広い生活困窮者への相談・支援活動を展開し、2014年まで理事長を務める。2014年、つくろい東京ファンドを設立し、空き家を活用した低所得者への住宅支援事業に取り組む。著書に『貧困の現場から社会を変える』(堀之内出版)、『鵺の鳴く夜を正しく恐れるために』(エディマン/新宿書房)、『生活保護から考える』(岩波新書)等。

稲葉剛の新着記事

もっと見る