原発訴訟にただならぬ関心を寄せる最高裁
2018年01月15日
私は、裁判官から学者に転身した人間であり、かつ、法律家の世界や学界では司法批判を始める以前にすでに相当の評価を得ており、一方では学界のしがらみからは比較的自由であり(私の専門分野の長老たちの多く、また他の分野のヴェテラン学者の一部も、私の研究は高く評価してくれており、私にはそれで十分なのだ)、また著書等で発言の機会もあるから、原発訴訟についても忌憚のない分析を行ってきたが、私とおおむね同じことを考えている法律専門家、学者でも、それを発表できる機会をもつ人々は少ないし、また、そのことによるリスクを恐れる(学界の内部にはそうした発言を快く思わない人々も当然出てくる。また、専門家というのは、えてして、ほかの専門家の発言に対しては過敏であったり、嫉妬深かったりしやすいものである〔この点、学者は、全体としてみれば、実務家よりフェアなのだが、それでも、そういう人々もいる〕)人々も、人間の自然として、多い。ましてや、一般市民であれば、なおさらのことである。
また、前述したとおり、正しいリスク評価の考え方に基づかない、いわば素人的な感覚で、また、国際的な基準も踏まえずに、安易に先のような事柄を記すのは、誤解を招く危険性が大きく、有害でさえある。
火山ガイドの内容自体に相当の不備があるとの意見が一般的にも強いという状況では、なおさらのことだ。たとえば、こうした記述のあり方(比喩的にいえば、アクセルを踏みながら一方では無意味にサイドブレーキを引いている)に、「裁判官たちの間での議論割れ」の一つの可能性が推測されるのだ。また、このような記述は、裁判官たちの事案に対する正しい理解を疑わせることにもなると思う。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください