瀬木比呂志(せぎ・ひろし) 明治大法科大学院教授
1954年名古屋市生まれ。東京大学法学部在学中に司法試験に合格。裁判官として東京地裁、最高裁などに勤務、アメリカ留学。並行して研究、執筆や学会報告を行う。2012年から現職。専攻は民事訴訟法。著書に『絶望の裁判所』『リベラルアーツの学び方』『民事訴訟の本質と諸相』など多数。15年、著書『ニッポンの裁判』で第2回城山三郎賞を受賞。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
原発訴訟にただならぬ関心を寄せる最高裁
私は、裁判官から学者に転身した人間であり、かつ、法律家の世界や学界では司法批判を始める以前にすでに相当の評価を得ており、一方では学界のしがらみからは比較的自由であり(私の専門分野の長老たちの多く、また他の分野のヴェテラン学者の一部も、私の研究は高く評価してくれており、私にはそれで十分なのだ)、また著書等で発言の機会もあるから、原発訴訟についても忌憚のない分析を行ってきたが、私とおおむね同じことを考えている法律専門家、学者でも、それを発表できる機会をもつ人々は少ないし、また、そのことによるリスクを恐れる(学界の内部にはそうした発言を快く思わない人々も当然出てくる。また、専門家というのは、えてして、ほかの専門家の発言に対しては過敏であったり、嫉妬深かったりしやすいものである〔この点、学者は、全体としてみれば、実務家よりフェアなのだが、それでも、そういう人々もいる〕)人々も、人間の自然として、多い。ましてや、一般市民であれば、なおさらのことである。
なぜ、報道機関に大きな影響を与えるわずかな紙数の「決定要旨」の中に、先のような「根拠の乏しい疑い」について記す必要があるのか、きわめて疑問が大きい。「日本の社会通念はこの程度なのだから、本当は踏み込んで判断する必要もないのかもしれないが」などという印象を与えてしまう留保は、少なくとも「決定要旨」に入れることは、適切ではない。
また、前述したとおり、正しいリスク評価の考え方に基づかない、いわば素人的な感覚で、また、国際的な基準も踏まえずに、安易に先のような事柄を記すのは、誤解を招く危険性が大きく、有害でさえある。
火山ガイドの内容自体に相当の不備があるとの意見が一般的にも強いという状況では、なおさらのことだ。たとえば、こうした記述のあり方(比喩的にいえば、アクセルを踏みながら一方では無意味にサイドブレーキを引いている)に、「裁判官たちの間での議論割れ」の一つの可能性が推測されるのだ。また、このような記述は、裁判官たちの事案に対する正しい理解を疑わせることにもなると思う。