元バレエダンサー、舞踊評論家として、正しいバレエを伝えるため尽力
2017年12月30日
元バレエダンサー、舞踊評論家で、前日本バレエ協会会長の薄井憲二(うすい・けんじ)氏が、12月24日早朝、悪性リンパ腫で死去。
もし、このページをのぞいてくださったバレエにあまり関わりがないという方が、熊川哲也さんなら知っている、とおっしゃったとしたら、その熊川さんが「海賊」などの作品演出を新たに手掛ける折にアドバイスをお願いしたのが薄井氏だと紹介すれば、少しは繋がるだろうか? 薄井氏は、英国ロイヤルで熊川さんが呼ばれていたように愛称で“テディ”と呼んでいたと伝え聞く。熊川さんに限らず、日本中のバレエ関係者が、頼りにするバレエ界の重鎮だった。
私自身、今月の2日には、有馬龍子記念京都バレエ団公演の客席でお目に掛かった。数カ月前には、電話での質問に1時間以上にもわたって詳しく応じてくださり、その知識の深さ、記憶力の確かさに感嘆しながら感謝したところだった。
「また、いつでも電話してきなさい」と、固定電話しか知らなかった私に携帯電話番号も教えてくださったところだった。あれは、病院に入院されてしまうかもしれないからだったのだろうか……。最後まで、記憶がしっかりして、いつ、どんなバレエ公演があったか年号もスラスラでてくる……驚異的な方だった。
1924年生まれ、東京都出身。ストラヴィンスキー作曲の「火の鳥」をレコードで聴いて衝撃を受けたことから「バレエ・リュス」を知る。16歳の時、「牧神の午後」などを上演していた東勇作の公演を観て感動し、門を叩いた。
東京大学経済学部在学中に招集されて旧満州に出征、終戦後シベリアに抑留された。収容所での材木運びなどに従事する飢えや寒さのなかでの大変な抑留生活だったが、その際にロシア語を身につけ、4年にわたる抑留の後半には通訳のような仕事も任せられるようになったという。
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