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不屈の女性アスリートが平昌五輪で見せる輝き

ヘンドリクスとイラシュコが飛び、ペヒシュタインが滑って示す精神と笑顔、美しさ

増島みどり スポーツライター

  12日行われたスキージャンプ女子ノーマルヒル(ヒルサイズ109メートル)で、前回のソチ五輪4位の高梨沙羅(21=クラレ)が厳しい条件のなか銅メダルを獲得した。女子ジャンプが五輪新種目となった前回、初代女王最有力候補と言われながら4位に。4年前ティーンエイジャーの涙を見た日本中のファンが、歓喜よりもホッと胸をなでおろす、そんなメダルだったのではないか。

  この試合、3番目と早い順番で飛んだ「元女王」の姿に胸をゆさぶられた。

平昌五輪女子ジャンブで2回目を終えて笑顔を見せるサラ・ヘンドリクソン=2018年2月12日、アルペンシア・ジャンプセンター拡大平昌五輪女子ジャンブで2回目を終えて笑顔を見せるサラ・ヘンドリクソン=2018年2月12日、アルペンシア・ジャンプセンター
  2度目の五輪を終えてスキーを外した彼女は、笑顔でスキーにそっとキスをし、抱きしめるような仕草をした。4年前には「2人のサラ対決」と取り上げられた、米国のサラ・ヘンドリクソン(23)である。女子のW杯初代総合女王に輝いた高梨のライバルだ。ライバル「だった」と言わなくてはならないほど、2人の飛距離は開いてしまったのだが。

  1回目86メートル(高梨は103.5メートル)で2本目に進出。2回目88メートル(高梨は2回目も同記録)の合計160.6点(高梨は243.8点)で19位に。しかし笑顔が輝いた。

  2013年、ソチ五輪を前に競技中右ひざを痛めた。五輪には間に合わないと診断されている。しかし「新種目の競技者にどうしてもなりたかった」と復帰を果たし、21位に食い込んだ。

  その後も4度の手術を経験し、1度も試合に出られないシーズンもあった。ピョンチャンを前にした16年に2季ぶりの復帰が報じられた時、彼女が飛ぶことを諦めていなかったと知り拍手を送りたかった。

  取材した際、「私はジャンプを愛している」と言っていた。理由の一つは競技の成りたちにある。女子ジャンプは他の競技と異なり、選手が自分たちの力でこうした訴えを起こし、男子と同じように五輪の舞台に立ちたいと願い、勝ち取った歴史を持つ。

  国も所属も無関係に連帯した女子ジャンプの選手たちは2010年、バンクーバー五輪を前に、女子ジャンプが新種目にならないのは、男女差別を禁じるIOC(国際オリンピック委員会)憲章に違反する、とカナダの地方裁判所に団体で訴訟を起こした。日本ではあまり報じられなかったが、世界的には大きな注目を集めた裁判で彼女たちは「勝った」。正確には、男女差別は認められたが、種目の採用はIOCの裁量によると判断され2010年の新種目にはならなかったのだ。

  サラは「本当に感動し強い彼女たちに憧れた。だからジャンプを諦めるなんて一切考えなかった」と話していた。

  スキーへのキスは、競技と、彼女の前に歴史を歩んだ女性たちと、五輪への心からの敬意と愛情の表れ。「幸せでいっぱい」という。米国チームは12日、「私たちは彼女を誇りに思う」とコメントした。 ・・・ログインして読む
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筆者

増島みどり

増島みどり(ますじま・みどり) スポーツライター

1961年生まれ。学習院大卒。84年、日刊スポーツ新聞に入社、アマチュアスポーツ、プロ野球・巨人、サッカーなどを担当し、97年からフリー。88年のソウルを皮切りに夏季、冬季の五輪やサッカーW杯、各競技の世界選手権を現地で取材。98年W杯フランス大会に出場した代表選手のインタビューをまとめた『6月の軌跡』(ミズノスポーツライター賞)、中田英寿のドキュメント『In his Times』、近著の『ゆだねて束ねる――ザッケローニの仕事』など著書多数。

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