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平昌五輪で日本代表は入賞数も過去最多

史上最多のメダルの陰で、いぶし銀の輝きを見せたベテランの加藤条治と藤森由香

増島みどり スポーツライター

 前日、スピードスケート女子500メートルの小平奈緒(相沢病院)が、3大会目の挑戦で悲願だった金メダルを獲得したのだから無理もない。その前日には男子フィギュアスケートで羽生結弦(ANA)が66年ぶりの連覇を果たし、銀メダルの宇野昌磨(トヨタ自動車)とダブル表彰台の夢を叶えた。金メダル2つと銀メダルが熱狂的に取り上げられていた19日、4度目のオリンピックに挑戦する男がスタートラインに立った。

平昌五輪スピードスケート男子500メートルで6位となった加藤条治=2018年2月19日、江陵オーパル拡大平昌五輪スピードスケート男子500メートルで6位となった加藤条治=2018年2月19日、江陵オーパル
  五輪開会式直前に33歳になった男子スピードスケート500メートルの加藤条治(博慈会)が、自身4度目の五輪に挑んだ。世界記録を持って臨んだトリノではメダルに届かず6位に。バンクーバーでは銅メダルを獲得し、ソチにも挑戦して5位となった。

  ひざの持病の悪化、長く所属していた日本電産サンキョーを昨年退社するなど大きな変化を乗り越えての4度目の挑戦は、34秒831の6位で幕を閉じた。フライングの後、最初のカーブではバランスを崩したシーンもあり悔やまれるが、それでも「充実感がある」と、爽やかな笑顔を見せた。

  ソチ五輪後の休養から、一度は所属会社の監督になるも、現役でまだ戦いたいと退社。ひざの具合が思わしくなく屈伸もできない状態のなか、支援企業も決まらない。東京・足立区の博慈会記念総合病院所属が決まったのは、選考会が行われるわずか3カ月前の昨年9月だったが、ベテランは落ち着いてピョンチャンまで歩みを進めた。

 日本のメディアにとってメダルの評価は簡単だ。ひたすら盛り上げるのは敬意の表れとして、メダル以外に判定を下す作業には滅法弱い。

 「メダルに届かず残念でした」

 「あと一歩でしたね」

 負けありきでインタビューを始めてしまうので、相手のコメントもそれにつられて沈みがちだ。しかし、500メートルで4大会連続入賞を、33歳の加藤が成し遂げたのだから、「おめでとうございます」と評価していいのではないか。ミスがなければ、と悔やまれるほど北京への可能性も十分に感じられる6位なのだ。

  「できればまだ競技を続けたい」と話しており、所属先の博慈会もサポートのしがいがあるはずだ。

メダルは過去最多の11個、入賞も過去最多の24に

平昌五輪スロープスタイル女子決勝の競技を終えた藤森由香=2018年2月12日、フェニックス・スノーパーク拡大平昌五輪スロープスタイル女子決勝の競技を終えた藤森由香=2018年2月12日、フェニックス・スノーパーク
  加藤と同じく4大会連続出場を果たしたのは、スノーボードの藤森由香(アルビレックス新潟)だ。06年のトリノで正式種目に採用されたスノーボードクロスで初出場を果たし7位まで食い込んだ。
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筆者

増島みどり

増島みどり(ますじま・みどり) スポーツライター

1961年生まれ。学習院大卒。84年、日刊スポーツ新聞に入社、アマチュアスポーツ、プロ野球・巨人、サッカーなどを担当し、97年からフリー。88年のソウルを皮切りに夏季、冬季の五輪やサッカーW杯、各競技の世界選手権を現地で取材。98年W杯フランス大会に出場した代表選手のインタビューをまとめた『6月の軌跡』(ミズノスポーツライター賞)、中田英寿のドキュメント『In his Times』、近著の『ゆだねて束ねる――ザッケローニの仕事』など著書多数。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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