武田徹(たけだ・とおる) 評論家
評論家。1958年生まれ。国際基督教大大学院比較文化専攻博士課程修了。ジャーナリストとして活動し、東大先端科学技術研究センター特任教授、恵泉女学園大人文学部教授を経て、17年4月から専修大文学部ジャーナリズム学科教授。専門はメディア社会論、共同体論、産業社会論。著書に『偽満州国論』、『流行人類学クロニクル』(サントリー学芸賞)、『「核」論――鉄腕アトムと原発事故のあいだ』『戦争報道』、『NHK問題』など。
推進、反対の二つの力が安全性を最大化できず均衡点でバランスしてしまう構図
7年前の3月11日、福島第一原発事故は起こるべくして起きたのではないか。その説明をゲーム理論の「囚人のジレンマ」概念を借りて試みたことがある(『わたしたちはこうして原発大国を選んだ』中央公論新社)。
「囚人のジレンマ」とは、たとえばこんな内容を示す。
2人の容疑者が逮捕された。その時点で明らかになっている犯行は軽微なもので、裁判になっても2人ともせいぜい懲役1年程度になるぐらいだ。
しかし検察側はより重大な事件に2人が関わっていると疑っており、司法取引を持ちかける。検察曰く「お前の相棒がやらかしたことを教えてくれたら、今回、逮捕された件も含めて不問とし、釈放してやろう(つまり懲役0年)」。
容疑者が問い返す。「もし私が口を割ったら相棒はどうなります?」。検察がいう。「懲役10年ぐらいだろうな」。
黙秘すべきか、告白すべきか、容疑者は考え込む。おそらく相棒にも同じ取引をしているに違いない。だとすれば自分が黙秘しているうちに別の監獄に入っている相棒が自白してしまえば、彼は釈放されるが、自分は懲役10年になる。
それではたまらないと考えた容疑者は、2人とも我先にと自白してしまい、結局、捜査協力が評価されて情状酌量されたが、共に懲役5年になってしまう。
相手は自分を裏切らないと信じて互いに黙秘を続けていれば、2人とも懲役1年で済んでいた。しかし無罪放免されるかもしれないという”褒美”に目が眩み、また相手が自分を裏切るのではないかという不信感にも駆られて司法取引に応じた結果、現実的に手が届くところにあった懲役1年という、そう悪くないシナリオを手放し、より悪い結果に追い込まれてしまう。
こうして非協力的な関係の中で相互に利益を勝手に求めた結果、かえって不利益を招いてしまう選択のパターンをゲーム理論では「囚人のジレンマ」と呼ぶ。
日本の原発状況もこの「囚人のジレンマ」的な構図の中にあったのではないか。
ゲームのプレイヤーに喩えられるのは国や電力会社といった原子力推進側と反原発運動だ。両者はどちらも安全で豊かな未来を求めていることに変わりはない。しかし、推進側は日本が持続的に繁栄するためには原子力利用を本格化しないといけないと考え、反対派は逆に原発があっては安全で豊かな未来はありえないと考えている。
それぞれに自分の考える理想の実現を目指し、推進側は原発がいかに安全で、優れたエネルギー源かを強調するし、反原発運動は原発の危険性、コストに見合わない点を告発する。
こうした両者の力関係のバランスが、日本の原発の現状を作ってきた。
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