メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

ハリルホジッチ監督解任というギャンブル的勝負手

W杯開幕まで2カ月で西野朗新監督の就任を日本サッカー協会が決断

増島みどり スポーツライター

W杯出場決定から一夜明け、日本サッカー協会の田嶋幸三会長(右)と話すハリルホジッチ監督=2017年9月1日、駒場スタジアム拡大W杯出場決定から一夜明け、日本サッカー協会の田嶋幸三会長(右)と話すハリルホジッチ監督=2017年9月1日、駒場スタジアム
 9日、東京文京区にあるJFAハウスの会見場には300人もの記者が詰めかけた。緊急会見として行われたバビド・ハリルホジッチ氏(65)との契約解除を発表した田嶋幸三会長(60)は、慎重に言葉を選びながら、「礼を尽くしたかった」と、自らが超強行日程でパリのホテルで前・監督と面談し、解任を通告した理由を明かした。

 「(解任の理由は)選手たちとのコミュニケーションや信頼関係が薄れていた。もちろん、それだけではなくほかの要因も総合的に判断した結果です」と話し、伝えられた前監督が「まさかこれを言われるとは、といった動揺や怒り、どうしてなんだ?と聞かれたのも事実です」と、取り乱した様子も伝えた。

 解任を決定付けてしまったのは、3月に行われたベルギー遠征(リエージュ)でのアフリカのマリ戦(1-1)と、ウクライナ戦(1―2)の結果だと説明。ともに、W杯出場を逃した国だったが、日本代表は戦術もバラバラで、何より求められるはずのメンタルでも全く精彩を欠き、これが代表戦かと思うほどの凡戦となり、直後、選手側からも会長、協会への意見が集まったという。

 昨年8月31日、6大会連続となるW杯出場を決めたアジア最終予選オーストラリア戦(2-0、埼玉スタジアム)以後、同最終戦のサウジアラビア戦に敗れ、親善試合のハイチには引き分け、12月のE1(東アジア)選手権では韓国に1-4と惨敗を喫するなど、突破後の公式戦、親善試合を含め10戦中わずかに3勝で、しかも戦術面でも選手との「乖離」は広がる一方、止まらない下り坂に突入したのは明らかだった。

 この事態に会長は「何もせずにこのままW杯で負けるのは(会長として)できなかった。1%でも2%でも勝つ確率を上げたい」と、1998年のフランス大会で初出場を果たした日本のW杯史上初めて、出場が決定して後に監督を交代するギャンブルを選択。

 98年以降、ここまで8人の代表監督と契約し、98年以降の途中交代はオシム氏の病気とアギーレ氏の賭博による捜査での解除の2件のみ。アジア最終予選の最中に加茂周監督を解任して以来、日本協会内には「契約を全うするよう双方が努力する」といった暗黙の了解、コンプライアンスが存在しただけに、開催2カ月前の決定は日本協会のスタイルとは違い、世界的にも注目を浴びた。

遅きに失すというのは簡単だが・・時間をかけた本当の理由

 残り2カ月を切っての最悪のタイミング、遅きに失す、といった論評は容易いだが、「契約を全うする」努力をどの国より重んじた協会にとって、契約解除の理由、契約書との整合性、また今後、前監督がどういった措置に出るかなど、FIFA(国際サッカー連盟)、CAS(スポーツ仲裁裁判所)への水面下での調査を慎重に行う必要性があった点は見逃せない。 ・・・ログインして読む
(残り:約1766文字/本文:約2923文字)

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。
Journalismの記事も読めるのは全ジャンルパックだけ!


筆者

増島みどり

増島みどり(ますじま・みどり) スポーツライター

1961年生まれ。学習院大卒。84年、日刊スポーツ新聞に入社、アマチュアスポーツ、プロ野球・巨人、サッカーなどを担当し、97年からフリー。88年のソウルを皮切りに夏季、冬季の五輪やサッカーW杯、各競技の世界選手権を現地で取材。98年W杯フランス大会に出場した代表選手のインタビューをまとめた『6月の軌跡』(ミズノスポーツライター賞)、中田英寿のドキュメント『In his Times』、近著の『ゆだねて束ねる――ザッケローニの仕事』など著書多数。

増島みどりの新着記事

もっと見る