大矢雅弘(おおや・まさひろ) ライター
朝日新聞社で社会部記者、那覇支局長、編集委員などを経て、論説委員として沖縄問題や水俣病問題、川辺川ダム、原爆などを担当。天草支局長を最後に2020年8月に退職。著書に『地球環境最前線』(共著)、『復帰世20年』(共著、のちに朝日文庫の『沖縄報告』に収録)など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
「サンダカン八番娼館」で形成されたイメージを問い直す動き
天草を拠点に活躍した知識人の中には、「サンダカン八番娼館」などで形成されたとみられる「からゆきさん」像に異を唱えた人も少なからずいる。
旧天草町(現天草市)教育長で郷土史家の故・浜名志松さんは「新・熊本の歴史7」(熊本日日新聞社)の中で、「明治初年から中国、シベリア、フィリピン、東南アジアに渡って産をなして故郷に錦を飾ったり、終戦まで現地で活躍した天草の男たちは多くの数にのぼっています」と指摘。
そのうえで「からゆきさんと呼ばれる天草の女たちも、こうした青年たちの海外出稼ぎと軌を一にするもので、からゆきさんだけが一人歩きしたのではないということです。このことを見失ってはならないと思います。女たちも男同様に海外に出かけて金を稼ごうとしたのです。それが本当のからゆきさんの姿です。売春婦のからゆきさんだけが渡ったのではない。多くの青年男女が富の獲得のために陸続と故国を後に海外に渡っていった。その中に売春婦となった年若い女たちがいたということです」と述べている。
地元で「有明町史」の編纂などを手がけた郷土史家の故・北野典夫さんは「天草海外発展史(下巻)」(葦書房)の中で、「大部分のからゆきさんは、正規の手続きを踏んだ海外渡航者であり、また、人身売買業者の手にかかって賤業に従事していたのは、ほんの一部分にすぎなかったことも知っておく必要があろう」と指摘している。
天草とは海をはさんだ対岸の島原半島にも、「からゆきさんイコール売春婦ではない」と訴える人はいる。島原市で「島原観光ボランティアガイド」を務める高木史浩さん(75)だ。「からゆきさんも、からゆきどんも身内にいるんです。からゆきどんは私の父です」。