「サンダカン八番娼館」で形成されたイメージを問い直す動き
2018年05月18日
天草を拠点に活躍した知識人の中には、「サンダカン八番娼館」などで形成されたとみられる「からゆきさん」像に異を唱えた人も少なからずいる。
旧天草町(現天草市)教育長で郷土史家の故・浜名志松さんは「新・熊本の歴史7」(熊本日日新聞社)の中で、「明治初年から中国、シベリア、フィリピン、東南アジアに渡って産をなして故郷に錦を飾ったり、終戦まで現地で活躍した天草の男たちは多くの数にのぼっています」と指摘。
地元で「有明町史」の編纂などを手がけた郷土史家の故・北野典夫さんは「天草海外発展史(下巻)」(葦書房)の中で、「大部分のからゆきさんは、正規の手続きを踏んだ海外渡航者であり、また、人身売買業者の手にかかって賤業に従事していたのは、ほんの一部分にすぎなかったことも知っておく必要があろう」と指摘している。
天草とは海をはさんだ対岸の島原半島にも、「からゆきさんイコール売春婦ではない」と訴える人はいる。島原市で「島原観光ボランティアガイド」を務める高木史浩さん(75)だ。「からゆきさんも、からゆきどんも身内にいるんです。からゆきどんは私の父です」。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください