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アイスショーを支える真壁喜久夫氏のこだわり

「毎年、もうこれ以上のショーは作れないかも、と思うんです」

田村明子 ノンフィクションライター、翻訳家

撮影田中宜明拡大日本でのアイスショーの草分けプロデューサー真壁喜久夫氏=撮影・田中宜明

 平昌オリンピックが終了して3か月余りが経過したが、オフシーズンとなった現在でも、フィギュアスケートの話題には事欠かない。日本では多くのアイスショーが競うように開催されて、ファンたちを喜ばせている。

 その中でも先日、金沢公演を終えた「ファンタジー・オン・アイス」は、他と一線を画す存在だ。国民栄誉賞の受賞が決まったばかりの羽生結弦をはじめ、エフゲニー・プルシェンコ、ステファン・ランビエル、エフゲニア・メドベデワ、ハビエル・フェルナンデス、織田信成など新旧のスターを揃え、ケミストリーなど有名アーティストのライブ演奏のコラボでも知られる、豪華なショーである。

日本のアイスショーの草分けプロデューサー

 このショーの産みの親であり、総合プロデューサーの真壁喜久夫氏は長い間フィギュアスケートに関わってきた。日本のスケート王国を裏から支えてきた影の立役者である。

 今でこそフィギュアスケートは国民的スポーツになり、アイスショーは全国津々浦々で雨後の筍ほど開催されるようになった。

 だがまだ日本がスケート大国になる以前から、リスクを覚悟で海外から多くのトップスターを招き、大規模なアイスショーを企画してきた真壁氏は、プロデューサーとして草分け的存在なのである。

 「当時日本にはプリンスアイスワールドのショーがありましたが、出演は国内のスケーターが主で、海外のスターをゲストで1人、2人招くという形でやっていました。そんな中で、90年代後半にスポーツマネジメント会社のIMGが『スターズ・オン・アイス』を日本に持ってきたことがあった。今は亡くなった徳島匡さんというプロデューサーが企画して、私もお手伝いをさせていただきました」

赤字を出しても続けてきた理由

 真壁氏がイベント企画会社CICを立ち上げた3年後の2001年、当時人気だったフィリップ・キャンデロロを招聘して「フィリップ・キャンデロロ・ジャパンツアー」を開催し、荒川静香、村主章枝などがゲストとして出演した。

 「当時日本スケート連盟の強化部長だった城田憲子氏に、日本の選手は人前で滑る機会が少なく、試合に出るだけでは世界のトップと勝負ができない、アイスショーのように多くの観客の前で滑る場を作って欲しいと乞われ、当初はキャンデロロのショーに日本の選手をゲストとして出演させるという形ではじめました」

 だが興行的にはうまくいかず、2000万円の赤字が出た。「それまでイベント請負会社として、80年代から日本スケート連盟の大会運営を担当させてもらってきました。でもアイスショーでチケットを売る、ということを初めて体験して学んでいかなくてはならなかったんです」。

 それでも翌年の2002年11月、初回の「ファンタジー・オン・アイス」を新横浜で開催。すでに競技シーズンに入っていたシニアのスケーターは出場できなかったが、当時ジュニアだった浅田真央と高橋大輔が出演した。

 まだ12歳だった浅田真央が登場すると、カーテンの影から ・・・ログインして読む
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筆者

田村明子

田村明子(たむら・あきこ) ノンフィクションライター、翻訳家

盛岡市生まれ。中学卒業後、単身でアメリカ留学。ニューヨークの美大を卒業後、出版社勤務などを経て、ニューヨークを拠点に執筆活動を始める。1993年からフィギュアスケートを取材し、98年の長野冬季五輪では運営委員を務める。著書に、『挑戦者たち――男子フィギュアスケート平昌五輪を超えて』、『パーフェクトプログラム――日本フィギュアスケート史上最大の挑戦』、『銀盤の軌跡――フィギュアスケート日本 ソチ五輪への道』(ともに新潮社)などスケート関係のほか、『聞き上手の英会話――英語がニガテでもうまくいく!』(KADOKAWA)、『ニューヨーカーに学ぶ軽く見られない英語』(朝日新書)など英会話の著書、訳書多数。

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