河合幹雄(かわい・みきお) 桐蔭横浜大学法学部教授(法社会学)
1960年、奈良県生まれ。京都大大学院法学研究科で法社会学専攻、博士後期課程認定修了。京都大学法学部助手をへて桐蔭横浜大学へ。法務省矯正局における「矯正処遇に関する政策研究会」委員、警察大学校嘱託教官(特別捜査幹部研修教官)。著書に『安全神話崩壊のパラドックス 治安の法社会学』『日本の殺人』『終身刑の死角』。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
袴田巌さんの再審を取り消した東京高裁 何十年もたってからの新証拠はほぼ不可能
袴田さんの再審開始を認めない東京高裁の決定が2018年6月11日になされた。この件は、なんと50年以上も前の1966年の一家4人殺害事件の犯人とされ死刑囚である袴田巌さんに、2014年3月に静岡地裁が決定していた再審開始を取り消すものである。ただし、袴田さんは死刑囚として収監されず、死刑の執行と拘禁の停止は続けるという。
このニュースを聞いて、私は正直驚いた。再審開始は覆らないと見ていたからである。しかし、思い当たるふしはある。今回の高裁の決定について、考えられることを整理し評価したい。
高裁決定の第一の特徴は、一見、矛盾を含んだ内容であることである。もし袴田さんが真犯人なら、収監しないのはおかしいし、真犯人でなければ、再審開始しないのはおかしい。このことに裁判官が気づいていないはずはない。私の解釈は簡単で、この一見した矛盾は、袴田さんが確かに真犯人であることも、確かに真犯人でないことも、どちらでもないことを意味すると捉える。
真実はひとつだとしても、裁判における事実認定には限界がある。真実がわからない事件があるのは当然である。なぜ、私が、この事件がそうだと捉えるのか、別の角度からも見ておこう。
スコープを引いて再審事件全体を眺めると、興味深いことが見えてくる。再審と言えば、死刑冤罪4例がまず想起される。1948年の免田事件が1983年に再審無罪確定、1950年の財田川事件が1984年、1955年の松山事件が1984年、1954年の島田事件が1989年と続いた。ここで当然、もたげてくる疑問は、死刑でない事件にも冤罪はあるのではないかということである。
実際、無期刑について、1990年の足利事件が2010年、1967年の布川事件が2011年にそれぞれ再審無罪確定した。死刑事件を優先し、その後に無期の冤罪事件に対応したとの解釈が可能である。ところが、これら6事件には、注目すべき特徴がある。それは判決文で「犯人でないことは誰の目にも明らか」とまで言われたように、全員、犯人でないことが証明されている。つまり無実の死刑囚や無期刑囚を救えということだったわけである。
このことを前提にすれば、次の疑問は、真犯人であることには疑いがあるが、犯人の可能性もあるケースについて、次に対応する順番が来ているのではないかというものである。「疑わしきは被告人に有利に」という大原則に基づけば、このような場合も再審無罪判決が下されるべきである。ところが、該当事件は一つもない。これは何を意味するであろうか。
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