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報道など二つの点で特異だったオウム7人死刑執行

現代社会に生まれる宗教に対応しかねている司法

河合幹雄 桐蔭横浜大学法学部教授(法社会学)

 2018年7月6日、オウム真理教がからむ一連の事件によって死刑確定していた13人の死刑囚のうち7名の死刑が執行された。死刑についての私見は様々な媒体で既に披露しているので今回は割愛させていただき、死刑制度と犯罪実態に詳しい一研究者として、議論の一助になることを願って、他の事件との違いを指摘しておきたい。

 執行制度の観点からは、今回は、全く異例な点がひとつある。共犯の死刑囚は原則同時に執行されることから、人数が一度に7名であることは珍しいが、これは原理上の問題ではない。事件から20年以上たっているのは、共犯事件の確定が遅れたためであり、2018年1月確定であるから、その後は速やかに執行されたと言ってよいであろう。

 平成の内に執行し、新元号に移るさいの恩赦の対象から外したかったので急いだという見方もあるようだが、死刑囚の恩赦ができるようには思えない。

 今回異例であったのは報道である。ここ何十年の慣例では、法務省は、死刑執行があったことだけ、執行直後に報道機関に密かに伝え、そこからヨーイドンで各報道機関が全国7か所の死刑執行場のある刑事施設に取材して、誰が処刑されたか明らかになるパターンであった。

 今回は、麻原執行のテロップがテレビでながれ、第2陣の被執行者については、まるで実況中継であった。その報道の手回しの良さから、官邸が主導かどうかは不明であるが、少なくとも官邸レベルも承知のうえで準備が進んでいたことがうかがい知れる。

オウム真理教元代表の松本智津夫死刑囚ら7人の死刑執行について会見する上川陽子法相(左)=2018年7月6日、東京・霞が関オウム真理教元代表の松本智津夫死刑囚ら7人の死刑執行について会見する上川陽子法相(左)=2018年7月6日、東京・霞が関
 上川陽子法務大臣の「慎重のうえに……」の談話を聞かされるほどに、かえって慎重さを欠いた運用という印象を抱かせられた
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