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[1]チームの風通しを良くした西野監督

強豪国でも順位を一つ上げるのに20年、30年かかっている

増島みどり スポーツライター

 モスクワ・ルジニキスタジアムで15日に行われたロシアW杯決勝戦で、フランスがクロアチアを4-2で下し、1カ月続いた4年に一度の夢の祭典が幕を閉じた。

 16強によるトーナメントは、南米が4カ国、欧州勢が10カ国を占めるなか、1998年の初出場から6大会目の出場を遂げた日本代表は唯一、他大陸から駒を進め大会における存在感を十分に示したと評価される。

 フランスは98年の自国開催以来、20年ぶり2回目の優勝を果たしたが、この20年間は波瀾万丈だった。98年優勝国が、2010年南ア大会ではグループリーグで屈辱の最下位となり、代表の権威と国民の関心を失ったどん底から這い上がった。

 同じ98年大会、ユーゴスラビアの崩壊から初出場で3位にまでのし上がったクロアチアもまた、20年間もの風雪に耐え続けた。98年以降出場した3大会すべてでグループリーグ敗退の辛酸をなめている。

 また10年南ア大会では欧州予選で敗退しW杯不出場も経験し、ロシア大会前もプレーオフに進出し、混乱のなかで監督が急きょ今回指揮を執ったダリッチ氏に交代するなど、薄氷の予選から同国初の準優勝をもぎ取った。3試合連続での延長戦をものにする粘り、精神力には評論以前に脱帽するほかない。

 日本の8強進出の夢を、9秒ちょっとの超高速カウンターで打ち砕いて3位へ大躍進したベルギーも、4強入りは86年メキシコ大会以来実に32年ぶりだった。フランスは2度目の優勝まで20年、クロアチアもベルギーも過去の最高成績から1つ順位を上げるために、20年、32年をかけた計算になる。

 こうした上位国から、W杯出場20年の、いわば「若葉マーク」付きの日本代表が改めて学ぶものがあるとすれば、技術や試合の分析、強化体制だけではない。それ以上に、屈辱を忘れず、諦めず、研究を続け、選手、協会、育成関係者、リーグ一丸となって前進するとてつもない忍耐力こそ、強豪入りのための唯一の手段であるように思う。

 日本代表の初出場から20年、通算21試合目を消化した今大会、日本も忍耐の結果、多くの収穫を手にした大会となった。

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筆者

増島みどり

増島みどり(ますじま・みどり) スポーツライター

1961年生まれ。学習院大卒。84年、日刊スポーツ新聞に入社、アマチュアスポーツ、プロ野球・巨人、サッカーなどを担当し、97年からフリー。88年のソウルを皮切りに夏季、冬季の五輪やサッカーW杯、各競技の世界選手権を現地で取材。98年W杯フランス大会に出場した代表選手のインタビューをまとめた『6月の軌跡』(ミズノスポーツライター賞)、中田英寿のドキュメント『In his Times』、近著の『ゆだねて束ねる――ザッケローニの仕事』など著書多数。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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