待望のサッカー代表の日本人監督 A代表と五輪の両方を兼任する重責
2018年08月01日
任期はカタールまでの4年間。日本代表がW杯に出場を果たした1998年以降、日本人監督としては3人目となるが、岡田武史氏(60)は、加茂周監督の契約解除を受けてアジア最終予選途中で就任。2度目の2010年南アフリカ大会も、当時のオシム監督が病で退任したために、急きょ就任している。
2人目の日本人監督となった西野朗氏(63)も、ロシア大会直前のハリルホジッチ氏との契約解除で技術委員長から「内部昇格」(田嶋幸三会長)した格好で、フランス人のトルシエ監督、ブラジル人のジーコ監督、ボスニア・ヘルツェゴビナのオシム氏、イタリア人のザッケローニ監督、フランス人のハリルホジッチ氏と、これまで欧州、南米とサッカー強豪国から学ぼうと招聘してきた代表監督に、待望の日本人監督が初めて4年を託された形だ。
1992年にプロ化され、96年アトランタ五輪、W杯98フランス大会と最高峰の舞台に連続出場を続けるようになってから、日本代表と五輪代表を兼任したのは、2000年のシドニー五輪、02年の日韓大会でのトルシエ氏ただ1人。森保監督が「(代表監督就任に)うれしいといった気持ちは全くありません」と、本来ならば晴れがましい会見といったムードを打ち消したのも、16年ぶりの任務の重みを誰より理解していたからだろう。
「2つの代表の監督を務めるのは本当に困難ですし、1人でやるのであれば不可能なことだと思います。しかし日本サッカー界、日本代表を支えてくださる多くの方々の力をお借りしながらチームを作っていけば、その不可能が可能に変わり、大きな成果につながると思っています。今は、覚悟と感謝、この2つの言葉を噛みしめている」
同席した田嶋会長は「待ったなしの世代交代の時期。森保監督ほどの適任者はいないとの判断でした」と、2つの代表における世代交代をよりスムーズに行える手腕にも期待を寄せた。
初の外国籍監督となったオランダ人・オフト氏のもと、94年W杯アメリカ大会アジア最終予選で「ドーハの悲劇」を経験したボランチが、24年が経ち、W杯での指揮を前提に4年を任された初の日本代表監督に選ばれたのも運命なのかもしれない。
待望の監督であると同時に、トルシエ監督の時代とは異なった難題も早速持ち上がる。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください