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今市事件 異常事態を物語る様々な風景

宇都宮地裁の奇妙な判決文に疑問をもった記者が追う「一審有罪」の問題点

梶山天 朝日新聞日光支局長

宇都宮地裁で判決を聞く勝又拓哉被告=2016年4月8日、絵と構成・小柳景義宇都宮地裁で判決を聞く勝又拓哉被告=2016年4月8日、絵と構成・小柳景義

 「今市事件 法廷にたちこめる『霧』の正体」に続き、今市事件の法廷にたちこめる「霧」について論じたい。

 栃木県今市市(現日光市に)の小学1年の女児(当時7歳)を2005年12月に殺害したとして、同県鹿沼市、無職の勝又拓哉被告(36)に、自白と取り調べの一部だけの録音録画の映像だけで有罪を言い渡した裁判員裁判だった宇都宮地裁(判決は2016年4月8日)。法廷には他にも異常事態だったことを如実に物語る風景があった。

「被告は犯人になり得ないとご遺体が語っている」

 今市事件の捜査本部の嘱託を受け、女児の司法解剖を行った筑波大学医学部の本田克也教授(法医学)が証人として出廷したときのことだ。解剖医は、普通なら身内とも言える検察側の証人だが、この裁判では違った。弁護側証人として出廷した本田教授は、解剖所見と被告の供述が合わないと被告の犯行を否定したのだ。

 約1万体の司法解剖をしてきた大ベテランの本田教授は言う。「被告は犯人にはなり得ないと、女児のご遺体が語っている。被告の供述とされているものは、解剖所見が示す事実に合致している事実がまったくなく、含まれていない。被告の供述は被告が犯人であることと、まったく矛盾する」

 これまでの解剖経験では、「被告がすべて本当のことを語るとは限らないが、その中身には真犯人として矛盾しない言葉が必ずあった。だが、今回はそれが何もない」と本田教授。この事件では、茨城県警幹部の案内で、遺体が発見された場所を自分の目で確かめたのを皮切りに計4回、現場に足を運んでいる。被告の供述内容が納得できなかったからだ。

 最大の理由は、遺体の死後硬直がすでに進んでいたことと、足の裏が土ひとつ付かずにきれいだったという警察からの情報にある。

供述と合わない遺体の形ときれいな足の裏

 現場で殺害したという供述が正しいとすると、死後硬直は急斜面に従った形に固まっていなければならない。ところが実際には、車の後部座席に寝かせていたとすれば符合する形に固まっていた。また足裏が汚れていないことは、現場に裸足で立たせたという供述と矛盾する。

 くわえて、2005年12月2日午前2時ごろ、山林に裸で立たせ、肩を片手でつかんで、胸部の狭い部分のみ、十数秒間というわずかな時間、ほぼ水平方向にナイフで連続して刺したという当初の「訴因」は、実際にやってみれば、明らかに不可能であるから、ただちに崩れる。

 ナイフを刺して、直ちに引き抜こうとしても、抵抗があるためかなりの時間がかかる。また、被害者を立たせたまま保持することは事実上不可能で、1、2回刺すと崩れ落ちてしまう。「10回刺して失血死させた」とする訴因そのものが崩壊していることを、女児の体は訴えていた。

遺体が遺棄された山林の斜面=2016年4月15日、茨城県常陸大宮市遺体が遺棄された山林の斜面=2016年4月15日、茨城県常陸大宮市

わいせつ行為を示す痕跡は残されていない

 そもそも検察が明らかにした殺害目的は、わいせつ行為を行い、顔を見られたので発覚を恐れたというものだった。しかし、女児の身体所見にはわいせつ行為を示す痕跡は一切残されていなかった。しかも心臓をめがけて10回も刺すという行為は、正常な人間の行為とは思えない。

 もうひとつ気になるのが、「致命傷である胸の刺創(しそう)に怖がって逃げようとした動きがみられない」と本田教授が私につぶやいた言葉だ。意外と顔見知りだったりして、と考えずにはいられない。

 それはさておき、検察が描いたシナリオは明らかに崩れた。

写真と供述調書を見ただけの証言を鵜呑み

 にもかかわらず、一審の宇都宮地裁で、被告は有罪となった。なぜか。

 本田教授が弁護側証人として法廷に立ったのには伏線があった。司法解剖が終わると、捜査側は死因や凶器など、遺体所見から犯人割り出しにつながる解剖所見をいち早く知りたがる。そのため解剖医は正式な解剖書を出す前に、ある程度のものを捜査側に提供する。しかし、この事件では、発生から2014年6月3日に勝又被告が殺人容疑で逮捕されるまで、捜査側からの接触などはなかったと記憶しているという。

 私の手元にある文書がある。本田教授宛てに送られてきたFAXの文書だ。

 日付は2014年6月10日午後0時20分。「イマイチソウサホンブ 本田先生に確認させていただきこと 宇都宮地検 三席検事 岡山賢吾」という頭書きで始まるA4判のペーパーには、横書きで十数問の質問が記されていた。解剖の鑑定書に対する質問である。

 その中に、「右側頸部の4個の線状の表皮剝奪は、スタンガンによるものとして矛盾はありますか」という質問があった。ここで使われている「スタンガン」という言葉は、本田教授が解剖結果を記した鑑定書にはなかった。被告の逮捕を機に、検察や警察が接触を求め、自白内容とのすり合わせをしようとしたとみられる。

 その後、数人の警察官が大学に来たが、本田教授は「遺体はウソをつかない」との信念のもと、解剖所見がすべて、とだけ口にした。

 「もしかしたら、私の鑑定書を没にして、他の学者に頼むのでは……」。鑑定書はボツにはならなかったが、女児の解剖をしていない別の法医学者らが検察側証人として出廷し、「被告の供述との間に矛盾はない」と、写真と供述調書などを見ただけにすぎない証言をした。一審の宇都宮地裁は、それを鵜呑(うの)みにしてしまった。後日、控訴審において、「矛盾はない」とした訴因を否定して、変更することになるとは、このとき、法廷にいた人はみな、想像もつかなかっただろう。

奇妙な判決文にこみ上げた怒り

 「今市事件 法廷にたちこめる『霧』の正体」の冒頭で書いたように、私は奇妙な一審の判決文を読んで「今市事件」に首を突っ込むことになった。その後、もう一度時間をかけて目を通したが、読み終えた瞬間、怒りがこみ上げてきたの覚えている。

 「こんな警察、検察って日本にあるのか。一人の女児が無残にも殺害されているというのに、捜査を捨てている。犯人特定に一番迫らるDNA型鑑定を科捜研職員がコンタミ(汚染)したとしてあきらめている。何度でも検査はできるはずなのにどうして?裁判所もなぜ、再鑑定させないんだ?」

 判決文の二度読みがなかったら、昨年8月29日付朝日新聞第1社会面の「『別人のDNA』審理請求へ 一審で証拠提出されず」の報道はなかっただろう。記事は、捜査側による証拠隠しの実態を報じ、反響は大きかった。

証拠が隠され、審議されずに有罪に

筆者が入手した捜査報告書筆者が入手した捜査報告書

 私が入手した、栃木県警捜査1課の警部補が刑事部長にあてた2014年5月27日付の2枚の「捜査報告書」には、被害者女児の身体から採取した粘着テープや微物などの試料を、神奈川歯科大大学院の山田良広教授に精度の高いミトコンドリアDNA型鑑定を嘱託したところ、勝又被告のDNAが検出されなかったという山田教授から口頭で回答を得たという内容が書かれ、山田教授への鑑定嘱託書も1枚添付されていた。実は、一審ではこの外部に嘱託した鑑定も審理されていなかった。

 山田教授が鑑定した試料は、女児の頭部にあった粘着テープだけでなく、女児の遺体のいたる所にあったガーゼ片や脱脂綿、ろ紙、採証テープなどで採取した微物、口腔内容物など約60点にのぼる。昨年1月、私が神奈川歯科大に山田教授を訪ねると、偶然にも研究室には今市事件の鑑定を行ったことを裏付ける栃木県警の感謝状が飾られていた。

 山田教授への取材の結果、被害者女児や被告、粘着テープに自分たちの細胞を汚染させた科捜研職員らとは別の第三者のDNAが、複数検出されていたことが確認できた。問題は、証拠にならないとされて隠され、それが審理されることなく、一審の裁判官や裁判員が有罪の判断をしてしまったことだ。

鑑定書から浮かぶ二つの注目点

 その後私は、一審判決後に新たに再編成された弁護団からDNA型鑑定の意見書を頼まれた押田茂實・日本大名誉教授と弁護団に接触した。弁護団の説明によると、2014年9月に検察側から開示された8通ある鑑定書のうちの3通だった。控訴審に向けてあらためて残りの鑑定書の証拠開示を求めた結果、今年1月までに栃木、茨城の警察官約70人の異動識別の鑑定書など、すべてを小出しにしてきたという。

 一審で検察側は、栃木県警の科捜研が行った鑑定結果を証拠として提出。被告の型は検出されず、別人の型が検出されたが、検察側は鑑定した技官の細胞が混入したと説明した。押田名誉教授は「弁護団が最初に入手した3通の鑑定書だけでは、(科捜研の鑑定結果と同じく)汚染の恐れが払拭(ふっしょく)されない。最後の8通を出すのに今年1月までかかったのは、検察が表にしたくない重大な結果だったからだ。重大な証拠隠しだ」と説明する。

 8通の鑑定書によると、栃木、茨城両県警の捜査員計11人のDNAと、被害者のDNAが検出されたが、注目される点が二つある。

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