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日本型司法取引の第1号事件をチェックする

刑事責任を問われたのは個人。会社は不起訴。国民の理解は得られたか

五十嵐二葉 弁護士

 

会社のために社員がいけにえ

 2018年6月20に東京地検が発表した「日本版司法第1号事件」は様々な方面から驚きをもって迎えられた。

 6月1日に施行されたこの制度は、「組織犯罪の首謀者の摘発に役立つと期待される」(朝日新聞5月31日付)「企業犯罪や組織犯罪の捜査で、末端の実行犯だけが処罰される『しっぽ切り』に終わらせないために導入された。首謀者や組織の責任を追及することが期待され、法務・検察当局もそう説明してきた」(日経新聞7月22日付社説)のに反して、外国での贈賄という不正競争防止法18条1項違反の罪を不起訴にしてもらう代わりに捜査に協力する取引をした「本人」(刑事訴訟法上の呼び方)は三菱日立パワーシステムズ(MHPS)という「組織」で、取引の結果として刑事事件に問われた「ターゲット」(刑事訴訟法上は国際的なこの呼び方を避けて「他人」とする)は「組織犯罪の首謀者」とは程遠い、その会社の社員個人だったからだ。

 会社の仕事を達成させようと贈賄を決めたという社員を、贈賄主体である会社が助かるために、言わばいけにえにするという挙に出る会社が日本にあるのだという驚き、そういうことをさせるのが「証拠収集等への協力及び訴追に関する合意」という正式名称でつくられた日本版司法取引なのだ、という認識が日本社会に広がった。

 法律関係者などのコメントには批判的なものが多く、読売新聞は7月21日に「企業免責疑問視も」の見出しも入れた詳細な事実報道に4面を使い、日本経済新聞は7月22日付社説で「腑に落ちぬ初適用の司法取引」と書くなどマスコミも疑義を含む論調だった。

最高検も承認した「取引」

 法律の施行日に会見した法務大臣は「本人の事件についての処分の軽減等をしてもなお,他人の刑事事件の捜査・公判への協力を得ることについて国民の理解を得られる場合に限り合意制度を利用するという方針を示したところです」と言っていた。

 この方針は最高検察庁が3月19日付で発出した最高検刑第13号「証拠収集等への協力及び訴追に関する合意制度の運用等について(依命通達)」で全国の高検検事長、地検検事正あてに通達されている。

 さらに最高検は、同日付けで「証拠収集等への協力及び訴追に関する合意制度の運用に当たっての報告等について(依命通達)」(最高検刑第14号)で、各検察庁(検事正)に対して、本制度の協議を行う場合には、高等検察庁及び最高検察庁に報告を行うことや、合意を行うに際しては高等検察庁の指揮を受けること等の運用を「当分の間」実施すると定め、続けて「証拠収集等への協力及び訴追に関する合意制度の協議申入れ等に関する報告様式について(事務連絡)」(最高検刑第15号)で各報告等の様式の周知を発出している。

 従って最高検、東京高検も東京地検の「取引」を承認したはずのこの第1号事件だが、果たして国民の理解は得られたのか。

コスト・パフォーマンスで判断した「賄賂」

 東南アジアやアフリカの開発途上国では公務員の賄賂要求が習慣化していて、国際取引に関しても要求されるとよく言われる。それでも贈賄した国の企業が開発などの事業を獲得するのでは、その習慣をむしろ助長することになる。

 OECDの1997年「国際商取引における外国公務員に対する贈賄の防止に関する条約」には日本も1998年に締約国になり、条約に合わせて改訂されたのが、今回MHPSに適用された不正競争防止法18条1項の外国公務員への贈賄罪などだ。国連も03年に「腐敗の防止に関する国際連合条約」を採択し、日本も17年に受諾して、外国で贈賄した企業に対して厳正に対処する国際社会への条約順守の義務を負っている。

 そこでこの事件のいきさつを見ると、どうしてもMHPSの贈賄がやむを得なかったとは言えない。

 MHPSは、三菱重工業と日立製作所の火力発電部門が統合してできた会社だが、この事業はそれ以前に三菱重工がタイの発電会社から受注していた約380億円の発電所建設だという。その建設資材を日本から運んだMHPSの船がバンコクの大港湾で別の大型船に積み替えて建設地の近くの桟橋で荷揚げしようとしたのだが、その桟橋の荷揚げ許可を受けていたのは500トン以下の船であるのに、積み替えていた船がより大型船だったため、接岸を拒否された。

 地元民や漁民らが大勢押しかけて反対したのは、収賄「公務員側がけしかけたとみられる」というが、「周囲には波の穏やかな浅瀬が広がる」とも書かれているので、環境を守る運動であったのかもしれない。

 許可条件に違反したMHPSに非があるのだが、許可を取り直すと工期に遅れるとして、地元対策費も含め6000万円超を「仲介役」に支払って入港を認めさせ、うち3900万円分が公務員への賄賂と見なされたという。

 適法な開発に賄賂を要求されたのではなく、違法を見過ごしてもらうための賄賂だったのであり、「納期遅れによる違約金やそれに伴う人件費などの新たなコストが発生してしまう」と「容疑者は『コストがかさむよりは賄賂を払った方がいいと考えた』と供述しているという」(以上引用は読売新聞7月21日付)。つまりはコスト・パフォーマンス上の判断だったわけだ。

会社は「罰金3億円」を免れた

 MHPSには当然法務部もあるだろう。会社が不正競争防止法違反の両罰規定で3億円の罰金を払うことも視野に入っていたはずだが、380億円のプロジェクトで、3億6000万円は、必要経費の範囲内ということだったのだろう。

 贈賄企業への罰金は3億円が上限という日本の法制は、腐敗防止条約の前文にこめられた「腐敗が社会の安定及び安全に対してもたらす問題及び脅威が、民主主義の制度及び価値、倫理上の価値並びに正義を害すること並びに持続的な発展及び法の支配を危うくすることの重大性を憂慮し」という国際社会の意思を軽視したものだが、MHPSはその3億円も取引によって支払わずに済んだ。

 さらにここからは、いわば司法取引のコスト・パフォーマンス考だ。

 司法取引のターゲットとされ、起訴されたのは、贈賄を決定した元取締役64歳、元執行役62歳、元調達総括部ロジスティクス部長56歳の3人で、現場で贈賄に関与した担当職員らの起訴は見送られたという。

 アメリカでも企業の事件で企業と被雇用者が“協働自白”する場合があるようで、雇用関係によって被雇用者の自白を強要されない権利と適正手続の権利が害される危惧が指摘されている(Brandon L. Garrett,Corporate Confessions:協働自白 Cardozo Law Review, Vol.30, No.3,2009 31頁)

3人は「在宅起訴」だった

 あ!と思ったのは、3人が在宅起訴だったことだ。

 同じ東京地検特捜部は、この「第1号」発表の6日後に文科省統括官57歳を収賄容疑で、贈賄者である医療コンサル会社元役員47歳とともに逮捕した。贈収賄額は140万円。日本の捜査官憲はこれ以下の金額でも、贈収賄の被疑者を逮捕・勾留して取調べをするのが普通だ。贈賄額3900万円のMHPSの3人が「在宅起訴」なのは非常に異例で、この贈賄事件の責任者幹部であった被疑者らが特捜部の求めるままに「すべて包み隠さず」供述し、必要な証拠を差し出す状況でなければありえない。

 ということは、会社側が司法取引の「本人」として3人の「ターゲット」の供述では事件処理できない「真実の供述をすること」も「証拠の提出その他の必要な協力をすること」(刑訴法350条1項1号)も必要ない状況だった事実を示している。会社と3人の元幹部が協働自白し、検察と三位一体となって取引したのが「第1号事件」だろう。

 不処罰となることによって、会社は3億円の罰金とともに、より恐れている国際金融機関からの取引停止や国際的プロジェクトからの参加拒否を免れることになった。

 3人の肩書が「元」となっていることは、自主退職なのか解雇なのか不明だが、会社は退職金に3億円分を積み増しして功労をねぎらうかもしれない。コスト・パフォーマンスは貸借対照表には書かない資産の大増加というところか。

「巨悪の摘発」に役立つのか

 佐藤欣子『取引の社会 アメリカの刑事司法』(中公新書、1974年)が良く引き合いに出さるように、日本人のメンタリティに司法取引は合わないと言われ続けてきた。

 2016年に刑訴法改定の一つとして「合意制度」が導入されることに強かった反対を和らげるために立法者は、この制度は、依然として根絶することができない暴力団や国際化する麻薬密売組織などの「巨悪」を断罪するための手段だと説明してきた。

 しかしこの「取引法」で、それができるのか。実際、なぜそうした事件を注目を集める第1号にできなかったのか。実はそれが必然だったのかもしれない。

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