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64年の開高健を意識しながら東京を追ってみる

武田徹 評論家

 とはいえそんな断片的な記憶では役に立たない。当時を全方位的に記録した資料を踏まえたい。

 それは開高健の『ずばり東京』だ。

 小説家としてデビューした開高だったが、60年代にはルポルタージュ作品をよく書いている。『ずばり東京』が文庫本化された時に追加された序文「前白――悪酔の日々」にこう記されている。

 「……小説が書けなくなったらムリすることないよ。ムリはいけないな。ルポを書きなさい。ノンフィクション。これだね。いろいろ友人に会えるから小説の素材やヒントがつかめるし、文章の勉強になる。書斎にこもって酒ばかり飲んでないで町へ出なさい。これは大事なことなんだド」
 昔、ある夜、クサヤの匂いと煙のたちこめる新宿の飲み屋のカウンターで、武田泰淳氏にそういう助言を頂いたことがあった。泰淳氏は東京生まれの東京育ちで、都会人の特質である繊細なはにかみ癖があり、いつも眼を伏せるか、逸らすかして、小声でボソボソと呟くのだったが、他人の意見などめったに耳に入ることのない年齢だった私の耳に、どういうものか、この忠告が浸透した。コタエたし、きいたのである。

 開高本人いわく、1957年に『裸の王様』で芥川賞を受賞したものの「もともとプロの作家になろうという心の準備なり、覚悟なり、鍛錬なりが積んであるわけではなかったから、たちまち壁にぶつかり、欝症も手伝って、ひどいスランプに陥ちこんだ」。そして風呂に入ると「お湯がアルコールの匂いを立てる」ほど酒に溺れた日々の中で、武田泰淳がかけてくれた「ルポ」の言葉が活路を開いた。1963年夏に『週刊朝日』に『日本人の遊び場』を連載、次いで『ずばり東京』を書き始める。

 当時のトーキョーは一時代からつぎの時代への過渡期であったし、好奇心のかたまりであってつねにジッとしていられない日本人の特質が手伝って、あらゆる分野がでんやわんやの狂騒であった。破壊は一種の創造だというバクーニンの宣託は芸術家と叛乱家の玉条であるが、トーキョーもまたこの路線上で乱舞、また乱舞していた。それにひきずられて私は悪酔をかさねつつノミのようにはねまわったのだった。

 63年の晩秋から連載を始めた『すばり東京』は、最終回に64年五輪開会式の光景が登場する。つまり東京五輪が開催されるまでの1年間が描き出されている。

東京五輪開幕の直前、1964年9月の開高健=東京・杉並の自宅付近で
拡大東京五輪開幕の直前、1964年9月の開高健=東京・杉並の自宅付近で
 そこには、消えてゆくものへの哀惜があり、勇ましく喧伝される明るい未来像への猜疑があり、虚勢を張るものへの心からの侮蔑と弱いものへの優しさがある。みっちりとした筆致からは町の喧騒がざわざわと聞こえ、人びとの息使いや、少し酸っぱい体臭すら漂ってきそうだ。舞台は東京だが、東京に就職で出てきた地方の若者や、旅行で東京を訪ねた外国人にも目配りし、東京から日本を、そして世界を見ようともする。

 「五輪の感動」といった薄っぺらな言葉で語っている限り、言葉の内外に大きく広がる余白は、その時の権力者の都合次第でよいように埋められてしまう。とにかく見栄えをよくするように寄せ集められた成型肉のステーキのような言葉をいくら連ねても、それは歴史と呼ばれる資格がない。

64年と20年をつなぐ「原発」


筆者

武田徹

武田徹(たけだ・とおる) 評論家

評論家。1958年生まれ。国際基督教大大学院比較文化専攻博士課程修了。ジャーナリストとして活動し、東大先端科学技術研究センター特任教授、恵泉女学園大人文学部教授を経て、17年4月から専修大文学部ジャーナリズム学科教授。専門はメディア社会論、共同体論、産業社会論。著書に『偽満州国論』、『流行人類学クロニクル』(サントリー学芸賞)、『「核」論――鉄腕アトムと原発事故のあいだ』『戦争報道』、『NHK問題』など。

 

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