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トレンディードラマはなぜ誕生したか[1]

持たざる局・フジテレビの窮余の策がヒット、純愛路線への転換も奏功

川本裕司 朝日新聞社会部記者

 フジテレビの山田良明(71)=現・共同テレビ相談役=は69年に入社、技術局放送技術部の配属となったが、制作現場を志望して本社から分離されていたフジプロダクションに70年から出向した。歌番組や情報番組を経て、78年に希望していたドラマ担当となった。しかし、「TBSが力を持っていて、一流の作家はフジテレビになかなか向いてくれなかった」と振り返る。

 当時、視聴率も低迷。78年当時、フジテレビの視聴率は、民放5局の中で、全日(6~24時)、ゴールデンタイム(19~22時)、プライムタイム(19~23時)ともに3位にとどまっていた。首位はいずれもTBSが独走していた。80年6月、会長の鹿内信隆の長男でニッポン放送副社長だった春雄(88年死去)を、フジテレビ副社長に就任させる役員人事とともに、プロダクションに分離されていた制作部門を本社に戻す組織変更が実施された。

 80年5月、編成局長には日枝久(80)=現・取締役相談役=が就任。翌81年10月に始まったバラエティー番組「オレたちひょうきん族」やクイズ番組「なるほど!ザ・ワールド」は快進撃を見せた。同じ月、「母とこどものフジテレビ」に代わり打ち出されたフジテレビのコピーが「楽しくなければテレビじゃない」だった。82年には生放送のバラエティー「笑っていいとも!」がスタートした。85年8月には、報道局が日航機御巣鷹山墜落事故で生存者救出を生中継し、新聞協会賞を受ける快挙を果たしていた。

 しかし、ドラマではTBSの後塵をまだ拝していた。21年間続くことになる「北の国から」が81年10月から6カ月の連続ドラマとして世に出てはいた。倉本聰が脚本を手がける「北の国から」と同じ時間帯に、TBSは山田太一脚本の「想い出づくり。」を編成した。視聴率では「想い出づくり。」が上回っていた。「北の国から」が上昇気流に乗ったのは「想い出づくり。」が終わった4カ月目からだった。

 「北の国から」で演出を担当した山田は86年4月、倉本の脚本で念願だった青春ドラマを実現させた。しかし、高校を卒業して間もない若者がカレー屋をカナダで開くストーリーを時任三郎や陣内孝則らが演じた連続ドラマ「ライスカレー」は視聴率10%前後で低迷した。「期待していたティーンは視聴せず、見たのは大人だった。自分が考えているものと、テレビを見ている人は違っていた。視聴者にもっと寄っていかなければいけない。若い人が見てくれる番組を作るには、時代にすり寄るドラマだ」と、山田は割り切るようになった。

 次に手がけたのは、86年10月から放送されたアイドル・中山美穂主演のラブコメディー「な・ま・い・き盛り」だった。視聴率に手ごたえをつかんだ。

脚本家も作り手も若手を起用しヒット

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筆者

川本裕司

川本裕司(かわもと・ひろし) 朝日新聞社会部記者

朝日新聞社会部員。1959年生まれ。81年入社。学芸部、社会部などを経て、2006年から放送、通信、新聞などメディアを担当する編集委員などを経て、19年5月から大阪社会部。著書に『変容するNHK』『テレビが映し出した平成という時代』『ニューメディア「誤算」の構造』。

 

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