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時代と共振したフジ・大多亮氏の7年間[2]

「東京ラブストーリー」のヒットと「プロデューサーの時代」の功罪

川本裕司 朝日新聞社会部記者

 フジテレビの大多亮(59)が1988年、トレンディードラマの先駆けとなる「君の瞳をタイホする!」のプロデューサーを務めたのは29歳のときだった。

 81年に入社。報道局社会部で警視庁クラブで捜査2課を担当、編成局広報部を経て、かねて志望していたドラマ制作に携われる編成局第1制作部に異動となったのは5年後だった。

 一回だけ手がけたドラマの演出で、「ディレクターの才能はない」と自己判断し、プロデューサー志向を固めた。ドラマ制作陣の若返りの時期と重なり、アシスタントプロデューサーを1作経験しただけで、かつては40歳の声を聞いてなるものだったプロデューサーに就任した。

若手脚本家に意見をガンガン言う

 「大脚本家に玉稿をいただくのではなく、若手の脚本家に意見をガンガン言うプロデューサーに変わろうとした。トレンディードラマは出演するのは若手俳優ばかりで、一家言あるベテランもいない。自分がやりたいことができた。その結果、自然にできあがったのがトレンディードラマだった」

 さらに、ディレクター(監督)の権限だった、音楽を入れる場面にも口を出すようにした。

 当時、編成部主導でプロダクションに発注されたドラマ「アナウンサーぷっつん物語」(87年4月放送)などに比べ、フジ内部で手がける局制作のドラマは実績が上がっていなかった。第1制作部は「焼け野原」と呼ばれていた。「君の瞳をタイホする!」が当たらなかったら、局制作のドラマは終わりとも言われていた。重圧のもと、プロデューサーとしての思い切りが実ったのか、平均視聴率17.4%と予想を上回る結果をもたらした。

 脚本家だけでなく、ディレクターとも妥協しなかった。 ・・・ログインして読む
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筆者

川本裕司

川本裕司(かわもと・ひろし) 朝日新聞社会部記者

朝日新聞社会部員。1959年生まれ。81年入社。学芸部、社会部などを経て、2006年から放送、通信、新聞などメディアを担当する編集委員。10年、論説委員兼務。17年4月から東京社会部。著書に『ニューメディア「誤算」の構造』。共著に『テレビジャーナリズムの現在』『被告席のメディア』『新聞をひらく』。

 

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