スタントマンから転身、殺陣を磨き役者として看板公演
2018年09月04日
2001年に吉本新喜劇に入団して18年目になる。それ以前は、京都太秦の撮影所で映画やドラマのスタントマンとして活躍していた。
「最初はジャッキーチェンに憧れて、18歳で兵庫県から上京しJACに入りました。養成所時代は、東京のよみうりランドで戦隊もののショーに出たり、その後、日光江戸村のアトラクションに出演していました」
JACの養成所時代から、芝居志向のあった平山さんは、アクションをするにしても、単なるアトラクションとしてではなく、ドラマの一環として演じたいと思っていた。
しかし、千葉真一さん率いる全盛の頃のJACとは違い、撮影所に仕事はなく、日光江戸村行きの切符を渡されていた。映像の世界とは違えども、1年5カ月、日光で頑張っていたところ、JACから撮影所で働かないかとオファーを受ける。こうして京都太秦の東映撮影所傍にあるJACに籍を移した。
東京から来た役者さんたちが異口同音にいうことには「京都の撮影所は怖い!」である。新参者には取っつき難く、礼儀知らずにはとことん手厳しい。しかし、いったん懐に入ってしまえば、めちゃくちゃ気にかけてくれる、それが京都の撮影所気質である。そこへいくと、20代前半の平山さんは、皆に愛されていた。
不器用なほど真面目で、相手が恐縮してしまうほど礼儀正しい青年であった。ともかく一生懸命で、何事にも必死。その様子は、不惑の年を経た今でも、新喜劇の舞台で垣間見られる。あのオドオドしたキャラクター、あれは、‘素の平山昌雄’そのものである。
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