樫村愛子(かしむら・あいこ) 愛知大学教授(社会学)
愛知大学文学部社会学コース教授。1958年、京都生まれ。東大大学院人文社会系研究科単位取得退学。2008年から現職。専門はラカン派精神分析理論による現代社会分析・文化分析(社会学/精神分析)。著書に『臨床社会学ならこう考える』『ネオリベラリズムの精神分析』、共著に『リスク化する日本社会』『現代人の社会学・入門』『歴史としての3・11』『ネオリベ現代生活批判序説』など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
第7回越後妻有アートトリエンナーレに見えた現場の変化と多様な評価
ディレクターの北川フラム氏自身のレポート「僕が越後妻有で大地の芸術祭を始めたワケ」(https://webronza.asahi.com/culture/articles/2018081700005.html)もこのサイトで読んでいただきたいが、北川氏は、自然の側にある多様性や情報の豊かさに大きく惹かれ、また歴史においても、農耕中心ではなく、山の民、漁民、海の交通といった歴史性・多様性を重要視し、それが地方と共に消滅していくことに懸念をもち、アートの重要な視点としてきた。
北川氏が2017年にキュレーションを行い、自らも好きで重要なものと述べていた、北アルプス国際芸術祭の栗田宏一氏の作品「土の道・いのちの道」(塩が伝わってきた道や日本海沿岸の距離感を表わした作品。日本海全域からやって来る塩が糸魚川に集結し、山を越えて信濃大町にたどり着くイメージを表わした)はその例の一つで、一見作品としては地味だが、栗田氏が日本全国各地で採集し、細かな差異に満ちた土が圧倒的な量で並べられていた。この点で、作品に伴う労働量(情報量と比例して)も見る者に感動を与えるものである(日大芸術学部の「脱皮する家」にもその要素があるだろう)。
また、北川氏はかなりキュレーションに踏み込むこともあり、実際はかなりコンセプチュアルなのだが、コンセプトが自然や物質の豊かさと結合しているゆえに、ポピュラーな視点においてわかりやすいものとなっているように思われる。タレルの光の館が、越後妻有の具体的な土地や風景の中に置かれているように、「Light Cave(ライトケーブ)」も、清津峡なしには成立しない作品である。
もちろん、珠洲(奥能登芸術祭)の深澤孝史氏の「神話の続き」(http://fukasawatakafumi.net/works-continuatinofmyth)のように漂着神を祭った文化に依拠して大量廃棄社会を批判するような、そしてアーティスト深澤氏が実際そうであるようにかなり思想的な作品もある(他にも、珠洲でのインドネシアのアーティスト、エコ・ヌグロホ氏の映像は第2次世界大戦中、日本軍がインドネシアに敷設した鉄道をめぐるものであり、戦争による苦難も表現されていた。また、北川氏が信頼を置く、エコロジカルプランナーの磯辺行久氏の作業と作品、とりわけ「土石流のモニュメント」は、この地域の地震の記憶を喚起する、ダークツーリズム的要素も持っている)が、作品には実際に海岸に流れ着いた海外からの圧倒的な量の物がそのまま可視化されていた(【奥能登国際芸術祭 スズ2017】上 信仰と交流の海 http://www.chunichi.co.jp/hokuriku/article/bunka/list/201709/CK2017090902000208.html)。このように、北川氏のキュレーションは、自然を概念によって切り取るとかそれに対峙していくコンセプチュアルに閉じた作品より、自然へのアクセスや交通を開く作品が中心になりやすいように思う。