メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

「北の国から」が続いた秘訣と終わった理由[4]

社運をかけた制作、半年の放送予定が大幅な赤字を乗り越えて継続された

川本裕司 朝日新聞社会部記者

 制作予算がもともと通常の2倍以上に組まれていた。途中まで視聴率の成果が出なかったことで、社内の経理部門などから不満の声が出ていたという。しかし、3月の最終回で20%を超える視聴率を記録し、「大成功」と位置づけられた。視聴者からの反響も高く、当初の予算を上回った制作費への批判もかき消された。ただ、予算を管理するプロデューサーの中村は心労で胃を患い、二度入院した。

1981年10月からのフジテレビの連続ドラマ「北の国から」に子役として出演した吉岡秀隆(左)と中嶋朋子 (C)フジテレビ拡大1981年10月からのフジテレビの連続ドラマ「北の国から」に子役として出演した吉岡秀隆(左)と中嶋朋子 (C)フジテレビ
 好評を受け、倉本は同じ配役による連続ドラマの続編の意向を示した。しかし、長期ロケとなると子役が学校での進級が難しくなることもあり、長期休暇に撮影する単発のスペシャルドラマを毎年1回程度続けることになった。当初は2年ほどの見込みだったという。

 脚本づくりでは、放送する1年半ほど前に倉本と杉田、山田ら演出陣が富良野で話し合い、骨格を決めていく。登場人物にどんな出来事が起こり、子どもたちはどう成長していくか。前回の放送のあとの履歴と成育史を語り合う。

 続編を手がけるときに、倉本の口から出たのが「家族のドキュメントをやらないか」という提案だった。息子の純(吉岡秀隆)と娘の蛍(中嶋朋子)の成長を追いたいので、「10年間を視野にやれないか」という発言もあった。杉田も「おもしろい。テレビでなければ出来ない」と賛同した。倉本のライフワークとなるドラマが形づくられていった。

 そして、「'83冬」(83年3月放送)、「'84夏」(84年9月放送)、「'87初恋」(87年3月放送)が作られた。視聴率は毎回20%を上回り、フジテレビを代表するドラマとして定着した。五郎の借金、自宅の火事、純の初恋と東京への旅立ちと、起伏のある日々が描かれた。

 一段と注目を集めたのは、純の東京での生活と看護学校に入った蛍に焦点を当てた「'89帰郷」(89年3月放送)だった。 ・・・ログインして読む
(残り:約2384文字/本文:約4222文字)

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。
Journalismの記事も読めるのは全ジャンルパックだけ!


筆者

川本裕司

川本裕司(かわもと・ひろし) 朝日新聞社会部記者

朝日新聞社会部員。1959年生まれ。81年入社。学芸部、社会部などを経て、2006年から放送、通信、新聞などメディアを担当する編集委員。10年、論説委員兼務。17年4月から東京社会部。著書に『ニューメディア「誤算」の構造』。共著に『テレビジャーナリズムの現在』『被告席のメディア』『新聞をひらく』。

 

川本裕司の記事

もっと見る