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大坂なおみの偉業でもテニスブームが来ない理由

全米オープンテニス優勝でも少子化の壁、復活錦織に残されたチャンスとは

倉沢鉄也 日鉄総研研究主幹

 大坂なおみ選手が全米オープンテニスの女子シングルスを、実力で優勝した。テニスを40年近く続け、今も(公財)日本テニス協会にわずかながら接点のある筆者として、この日本テニス史上初めての風景を、生きているうちに見られたことを幸せに思う。

 大坂の優勝に関わるスポーツ速報・特集の記事はすでにふんだんに掲出されており、本稿で特段述べるべくもない。筆者からは、大坂の不安定なメンタル面をメンタル・フィジカルコーチのサーシャ・バイン氏が上手にコントロールしたこと、それを大坂が素直に受け入れてきたこと、それが今回の試合展開のキーワードである「我慢」「丁寧さ」に結実し、元来の武器である世界最強レベルのスピードボールが効果的に活かされた、ということを述べるにとどめる。

全米オーブンテニス優勝後のインタビューで笑顔を見せる大坂なおみ=2018年9月8日、米ニューヨーク全米オーブンテニス優勝後のインタビューで笑顔を見せる大坂なおみ=2018年9月8日、米ニューヨーク
 大坂は、事実上の母国での、テニス界最高の舞台で、自身のアイドルだったセリーナ・ウィリアムズを決勝で圧倒しての優勝を遂げ、言わばテニスを始めて以来のすべての夢を早々に実現してしまった。ここからの最大の課題は、2回目の4大大会(全豪、全仏、ウィンブルドン、全米)優勝に至るまでのモチベーションの立て直しにあると筆者は考える。

 過去の「一発屋」たちと、そうならなかった「チャンピオン」たちの違いを見る限り、早い段階で2回目を優勝できれば、まだ20歳の大坂はチャンピオンの1人としてあと10年、どこまでも行けるだろう。

 今回の全米オープンでは、またも怪我に苦しんできた錦織圭選手が、2016年以来のベスト4を記録し、ウィンブルドンのベスト8に続いて復活を印象づけるという朗報もあった。

 ベテランの域に達しつつある錦織にとって、4大大会優勝に向けてこの10年間の壁となっている「チャンピオン」3人(ロジャー・フェデラー、ラファエル・ナダル、ノバク・ジョコビッチ)は、いずれも錦織より年上、大柄、かつ強靭な体力と精神力で近年の怪我から復活してきた、テニス150年の歴史に残る記録保持者ばかりである。

 小柄で華奢な体格を俊敏さとセンスで補い、代償として多くの怪我を負ってきた錦織が彼らのように選手生命を長く維持することは、正直難しい。筆者は今回が4大大会優勝のラストチャンスと見ていたが、そのチャンスは今後巡ってきてもあと1回だけ、上記3選手の衰えと錦織同世代~次世代選手台頭の間隙を縫う形でのタイトル奪取であろう。それまでに次なる怪我を抱えないことを願うしかない。

錦織、大坂に続く世界的選手が出現するのか

 さて、これらの希少な話題を、あえて前置きと呼ぶ。筆者の最大の問題意識は「今回の素晴らしいできごとをもってしても、日本人のテニスにほとんど何も影響を与えないのではないか」という悲観的な展望にある。

 問題の一つは、錦織そして大坂に続く、グローバル・プレーヤーが日本のテニス界に出現するのかという点である。

 錦織は日本テニス協会の当時トップに才能を認められて単身留学した14歳以降、大坂は親の移住で3歳以降、一貫して米国在住者である。その米国の練習環境と下部ツアー試合の環境で、世界トップに直結するシビアな競争と、その選手たちのショットを1年中体験することができる。それは、日本のトップジュニア選手たちが学校の休み期間を使って年2、3回海外遠征してくる“甘い体験”とは、肌感覚が違い、得られる果実が違う。もちろん米国在住の選手でも膨大な脱落者が出現し続けている。

 錦織は小学生段階で日本のテニス関係者を驚かせていた天才的センス、大坂は体格(180センチ)と運動能力面の優位、をもってそのシビアな競争を勝ち残ってきたに過ぎない。

 とくに女子テニスの世界トップ層では身体の頑強さと筋力の強さが近年急激に求められてきている中で、今回の大坂の映像を見て「私にもできる」「わが子にもできる」と考える人が増えることを、想定しにくいのが現実だ。それは民族・人種的な問題では決してなく、そうした身体能力の持ち主の少年少女がテニス以外のスポーツを始めてしまうことが、テニス界に限って物を見たときの問題の本質である。

 実は現在日本の女子テニスは、ダブルスにおいて100位以内に5人(2018年9月10日現在ランキング。この中に大坂はいない)を送り込む充実した戦力を誇るが、テニスは男女ともにシングルスを勝ってナンボの世界であり、ダブルスは“おまけ”、全米オープンの1人あたりの優勝賞金額で言えばダブルスはシングルスの1割にも満たない。

致命的な少子化、テニスの人口も市場も伸び悩み

 問題のもう一つは、この偉業は日本のテニス関連市場にプラスをもたらすのか、という点である。言い換えれば、大坂にあこがれてテニスを始めたり再開したりする一般市民がどれくらいいるのかという点である。この点は錦織の2014年の全米オープン準優勝、2016年の同大会ベスト4とリオデジャネイロ五輪銅メダルを踏まえたタイミングで、拙稿「錦織ブームはテニスブームなのか?」(2016年9月16日)で詳述しており、事態はそこから何も前進していない。

 要するに、錦織はもう十分に“日本人にテニスを始めさせて・再開させて”おり、バブル崩壊以来25年間右肩下がりだったテニス市場のすべてに“右肩下がりに歯止めをかけた”までで、右肩上がりにはできず、“新たに始めさせる理由”にはもうならなそうだ。

 とくに日本の場合は少子化が致命的だ。『レジャー白書』の経年推移を見ても、“やるスポーツ”の「安・近・短、+かんたん」の傾向はもう30年近く一貫している。テニスは技術の習得に時間がかかるがゆえに凝り固まったマニア層に限られたスポーツであり、観戦やファッションの対象としてももはや新たな層を掘り起こすものではない。

 錦織と大坂が揃って準決勝に勝ち上がった日に、中・高・大学生に長年強いテニスショップの経営者と話す機会があった。東京でのテニス道具市場の肌感覚は、錦織の“2014年全米オープン準優勝効果”以降、再び激しい右肩下がりだという。現にテニスショップ大手の一つが今年倒産し、テニス以外の事業(アウトドア系、ジョギング系)は当該分野の大手に売却されてしまった。

 中学や高校では学校側が少子化時代の生き残りをかけて勉学(=進学実績)を優先させた結果、部活への取り組みを強く制限する事例が増えている。大学の体育会や同好会でも同様の理由から合宿自体のとりやめや人数減、トーナメントへのエントリー数激減が続いている。

 実はテニス市場の低迷とテニスプレーヤーの発掘は、世界中の課題でもある。

 国際テニス連盟(ITF)は「Play & Stay」というキャンペーンを近年世界展開し、少年少女へのテニスの裾野を広げようと関係者挙げて尽力中である。しかし、少なくとも日本の学校教育においてテニスは、スポーツとしての意義と留意点を的確に理解している体育指導者は極小、現実に小中学校を巡っている「Play & Stay」の指導チーム(テニスコーチ等)も極小である。

 受け皿となる学校教育現場でも、予算措置や設備確保(占有面積や他スポーツとの共用可能性)、天候の影響(原則アウトドアスポーツであること)の面で、テニスはバドミントンや卓球に劣り、さらにはソフトテニスよりも高価でデリケートな設備や道具の維持必要性などから、今も“ぜいたくな体育”として敬遠される傾向が強いのが現実である。

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