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横綱稀勢の里の擁護論に潜む「きな臭さ」

潔い引き際の横綱は少数派、日本文化の伝承者に民族の違いは関係ないはず

倉沢鉄也 日鉄総研研究主幹

9月場所2日目、貴景勝(左)を突き落としで下した稀勢の里=2018年9月10日、東京・両国の国技館拡大9月場所2日目、貴景勝(左)を突き落としで下した稀勢の里=2018年9月10日、東京・両国の国技館
 横綱稀勢の里が、大相撲平成30年秋場所を、横綱“赤点以上平凡未満”というべき実績と、前半戦の“勝ち星拾い”(2018年9月12日日刊スポーツ紙、やくみつる氏挿絵より)というべき内容で、乗り切ろうとしている(13日目終了現在。横綱鶴竜戦と大関豪栄道戦を残す)。本場所土俵上での大怪我によって1年半の遠回りをし、メンタルや勝負勘も含めて最小限建て直してきた強豪力士の努力の結果は素直に受け入れ、来場所以降の優勝の可能性について期待したい。ニュースを受け取るすべての人にとって、スポーツ報道の論点としてはそれ以上でもそれ以下でもない。

 この横綱昇進後の稀勢の里をめぐって筆者が強く問題視しているのは、大相撲の範囲を超えた“きな臭さ”だ。それは(1)大相撲の横綱という地位のあり方や引き際について長らく実態乖離の議論があり、(2)稀勢の里が唯一かつ約15年ぶりの日本出身・日本民族・日本国籍の横綱であることによって(1)が歪曲されている、という点に集約される。

 まず(1)については、一時代を築いた偉大な大関への功績尊称だった時代(江戸時代~明治時代前半)に、番付が興行優先で成績を厳密に反映したものではなかったので、この称号をもらったら関脇以下に落とすわけにもいかず、しかし一時代を築いて衰えているので、短期で辞める事例が多かった、というのが横綱引き際論の原初である。

 大相撲最高位名称に変わった約130年前以降、また「大関の2場所連続優勝かそれに準ずる」昇進基準が文面化された約70年前以降(それ以前も総合的に考慮されていた)、実際に昇進して務め上げた横綱数十人の実績を顧みての横綱引き際論が、「優勝争いに関われなくなったら潔く引退するのが伝統」とのみ語られ、誰からも見直されることはなかった。

 拙稿で繰り返し述べてきたように、大相撲の伝統とは時代に過剰順応して都度変わっていくこと自体が“伝統”であった。この100年で時代背景や主催組織や競技の前提が大きく変わっている現在、横綱の引き際論のみ100年以上前から受け継ぐというには実態が乖離しており、“伝統の思考停止”というべき状態にある。

 実際に引き際を潔く(=弱い姿を成績にあまり長期間残さず)引退した横綱とは、この100年の横綱49人を見ても10人といない。それも師匠退職による相撲部屋の継承、怪我や病気の急激な悪化、刑法犯容疑を含む不祥事引責、といった事情を除けば、筆者の数える限りは4人、この50年ではせいぜい千代の富士のみ、その彼も35歳で肉体的な全盛期を過ぎて久しい状態であった。過去の大横綱のほとんども、衰えた姿を存分に成績に残して引退した。全員32~33歳と“高齢”の現役3横綱も今その域に達しつつある。

 その一人の稀勢の里の場合、横綱昇進時の成績は過去と対比して“一見甘く見えるが、特殊な妥当事例”(玉の海、武蔵丸に類似)だったがそれはもう過ぎたこと。現在問題になっている進退は、歴代の横綱が残してきた足跡と同様、出場した際に優勝争いに関われる可能性があるか、大関以下との力量の違いを見せる可能性があるか、を物差しとし、可能性が感じられるうちは粘り強く現役を続ければ、十分だ。

 昇進直後の怪我で1年以上休場し復帰した過去事例(60年前、吉葉山が新横綱から1年半で皆勤1場所、のち1年半6場所を一応皆勤)、引退の基準を自ら明確にした過去事例(60年前、鏡里が自ら10勝5敗と述べ、満たせずに引退)、横綱の成績ノルマを明確にする事例(「横綱の勝ち越しは10勝」と近年白鵬や日馬富士がたびたびコメント)もあるが、長年この点は横綱本人と師匠に委ねられており、それに尽きる。

「日本出身」からくる甘い評価

 

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筆者

倉沢鉄也

倉沢鉄也(くらさわ・てつや) 日鉄総研研究主幹

1969年生まれ。東大法学部卒。(株)電通総研、(株)日本総合研究所を経て2014年4月より現職。専門はメディアビジネス、自動車交通のIT化。ライフスタイルの変化などが政策やビジネスに与える影響について幅広く調査研究、提言を行う。著書に『ITSビジネスの処方箋』『ITSビジネスの未来地図』など。

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