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若者を熱狂させたフジの深夜番組が消えた訳[6]

若手編成部員にすべて委ねられた解放区から生まれた「カノッサの屈辱」などの新機軸

川本裕司 朝日新聞社会部記者

 激しい販売競争が繰り広げられた「ビール戦争」を、歴史ものとして描くとどうなるか。

 タイトルは「幕末ビール維新」(AD1950~1990)。87年に開発されたアサヒ「スーパードライ」の流布の先頭にたったのが落合信彦左衛門(ちなみに「スーパードライ」のCMに出演していたのが作家の落合信彦)が、ちょんまげ姿で登場する。

 その前段の出来事は年表ふうに紹介される。79年には、強固なラガー政策を行ってきたキリンが“生”製品販売に踏み切った「生類憐れみの令」が出された。83年では、アサヒ藩が「アサヒミニ樽」をもって戦線布告した生樽戦争が、上野の杜の花見客を巡って激しく争われた――。

「カノッサの屈辱」で案内役の歴史学者を務めた三谷昇 (C)フジテレビ拡大「カノッサの屈辱」で案内役の歴史学者を務めた三谷昇 (C)フジテレビ
 80年代に起こったブームや現象を過去の歴史に置きかえ、笑い飛ばすような解説を展開する手法で、話題を呼んだのがフジテレビで90年4月に始まった深夜番組「カノッサの屈辱」だった。「ニューミュージックと西太后」「インスタントラーメン帝国主義国家の宣戦」「健康ドリンク百年戦争の起因と拡大」「近世ハンバーガー革命史」「古代エーゲ海アイドル帝国の滅亡」「デート資本主義の構造」「チョコレート源平の対立と国風文化」などなど、身近な商品や流行を仰々しく説明する形式が、若者から支持を集めた。駆け出しだった放送作家の小山薫堂(54)が手がけた脚本は、そのセンスが注目を集めた。

 フジテレビでは当時、若手の編成部員に深夜番組の編成の全権を委ねていた。「カノッサの屈辱」を始めたとき、「深夜の編成部長」を務めていたのは石原隆(57)=現・フジテレビ取締役=だった。同じく編成部員だった金光修(63)=現・フジテレビ専務=が「カノッサの屈辱」の企画原案を作った。

 金光は「インスタントラーメンでは発祥から袋やカップと形を変えての登場、ディスコでいえば店の興亡を、現在に至るまで歴史的事件になぞらえて説明するのです。人気を集めたのですが、資料集めをはじめ大変な労力が必要だったので1年間で終了しました」と話す。番組タイトルは、山川出版社の世界史の教科書に出ている用語から選んだという。

「マーケティング天国」「カルトQ」「トリビアの泉」

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筆者

川本裕司

川本裕司(かわもと・ひろし) 朝日新聞社会部記者

朝日新聞社会部員。1959年生まれ。81年入社。学芸部、社会部などを経て、2006年から放送、通信、新聞などメディアを担当する編集委員などを経て、19年5月から大阪社会部。著書に『変容するNHK』『テレビが映し出した平成という時代』『ニューメディア「誤算」の構造』。

 

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