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報道を黒字にした「ニュースステーション」[8]

テレビ朝日が夜10時台に画期的編成、目線を下げ予定調和を崩して集めた視聴者の支持

川本裕司 朝日新聞社会部記者

 1980年代前半、民放がプライムタイムに編成したのは、ドラマやバラエティー、歌番組、クイズ、プロ野球、プロレスといった内容だった。民放として稼ぎどころの時間帯に、いまのようにニュース番組が編成されなかったのは視聴率が期待できなかったからだ。採算が取れなかったためだった。

 そんな時代だった85年5月14日、テレビ朝日社長の田代喜久雄(93年死去)が臨時局長会議で25人の出席者を前に表明した。「今秋、テレビ朝日のイメージアップにつながる画期的な編成を行う。月曜から金曜を通じて、22時から90分規模の報道番組を放映する」

 同じころ、制作会社「オフィス・トゥー・ワン」の契約社員だった高村裕(70)は、社長の海老名俊則(83)から「10月からテレビ朝日で月~金の夜10時台にベルトでニュース番組をやる」と知らされた。「ニュースステーション」として定着する大型企画を伝えられた場には、役員と制作スタッフら4、5人がいた。

 通告から1カ月も経たないうちに、共同制作するオフィス・トゥー・ワンとテレビ朝日から二十数人ずつが参加した打ち合わせが始まった。高村は制作会社テレビマンユニオンから移って4年、この年の3月まで放送されていたオフィス・トゥー・ワンに所属する久米宏(74)と横山やすし(96年死去)の司会による「TVスクランブル」(日本テレビ)を手がけていたが、ニュース番組の経験はまったくなかった。

 84年、テレビ朝日の視聴率は民放4位と低迷していた。経営陣が決断し社運をかけたこのプロジェクトは、テレビ局と制作会社が対等の関係で手がけるという新しさに満ちたものだった。

 「中学生にもわかるニュース番組」というコンセプトが打ち出されたのは夏すぎだった。テレビの政治ニュースでときに使われる「密室の茶番劇」といった言葉への疑問が、新しいコンセプトに込められていた。誰も見ていない密室でなぜ茶番があったのがわかるのか、特殊な業界用語でごまかしているのではないかという問題提起だった。上から目線ではなく、目線を下げてニュースを伝えることで両社のスタッフは合意した。

 別の放送作家は、ニュースの中心は一つではない、円の中心が二つあるとおもしろいのではないか、と訴えた。この考えは「楕円形の思想」と表現された。

 この延長線上に、キャスターが座る「ブーメランデスク」が誕生する。キャスターそれぞれの考えに違いがあってもいいという象徴にするため、上座も下座もないブーメラン形にして、角をつくらないようにしたという。セットには力を入れ、1億円の費用をかけた、と言われた。

 夜10時から78分間ものベルトのニュース番組を放送するのは民放初で、前例はない。ただ、人気の「必殺シリーズ」があった金曜だけは、夜11時スタートが88年3月まで続いた。番組枠は広告会社電通が買い切った。

 当面、ライバルとなるのは平日の夜9時から放送していたNHK「ニュースセンター9時」だった。高村は7月、「ニュースセンター9時」の2週間分を録画し、構成やニュース項目とその時間、映像の連関など内容を詳細に分析した。その結果、1項目は2分半から3分だった。固有名詞や専門用語が多用されている。映像も、政府の白書のサラリーマンについてなら東京駅前の通勤姿、子どものネタなら公園の空のブランコと陳腐だった。

 ニュースの並べ方に法則性はなかった。局内の力関係でトップ項目を決めているとしか思えなかった。 ・・・ログインして読む
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筆者

川本裕司

川本裕司(かわもと・ひろし) 朝日新聞社会部記者

朝日新聞社会部員。1959年生まれ。81年入社。学芸部、社会部などを経て、2006年から放送、通信、新聞などメディアを担当する編集委員。10年、論説委員兼務。17年4月から東京社会部。著書に『ニューメディア「誤算」の構造』。共著に『テレビジャーナリズムの現在』『被告席のメディア』『新聞をひらく』。

 

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