辰濃哲郎(たつの・てつろう) ノンフィクション作家
ノンフィクション作家。1957年生まれ。慶応大卒業後、朝日新聞社会部記者として事件や医療問題を手掛けた。2004年に退社。日本医師会の内幕を描いた『歪んだ権威』や、東日本大震災の被災地で計2か月取材した『「脇役」たちがつないだ震災医療』を出版。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
翁長知事時代に減った国の交付金、抑えられなかった憤怒の嵐は沖縄県民の魂の叫び
菅氏が安倍内閣の官房長官沖縄基地負担軽減担当となったのは、くしくも翁長氏が知事に当選した2014年だ。以来、安倍政権の辺野古基地建設の対応を一手に引き受けてきた。定例会見での「粛々と進める」と木で鼻を括ったかのような対応は、沖縄県民の脳裏に刻み込まれている。翁長氏にとっても沖縄にとっても、菅氏は因縁の深い象徴的な人物だった。
辺野古基地建設を進めるための埋め立てを承認する決断を下した仲井眞弘多元知事を見限って知事選に出馬した翁長氏が当選したのは同年11月だ。官邸に面会を申し入れて年末のクリスマスに上京した翁長氏に対して、菅氏は「年内に会うつもりはない」と断っている。就任したばかりの翁長氏はホテル待機で出鼻をくじかれ、結果的に恥をかかされたことになる。
年が明けて再度上京するが、沖縄関係閣僚にさえ会えず、かろうじて会えたのが杉田和博官房副長官だった。翁長氏の著書「戦う民意」によると、その面会も「基地のことは話さないこと」が条件で、2日後にやっと面会できた山口俊一沖縄・北方対策担当大臣も「基地の話は一切しないこと」が前提だったと明かしている。
菅―翁長会談が実現したのは4カ月後の翌年4月だ。この場で翁長氏は、菅氏にくぎを刺す。
「上から目線の『「粛々』という言葉を使えば使うほど、県民の心は離れて、怒りは増幅していく」
定例会見で菅氏が「粛々と」という言葉を封印したのは、この会談以降だ。
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