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復活する京都・南座こけら落としの吉例顔見世

10代目松本幸四郎が襲名披露で演じる「弁慶」の‘滝流し’

薄雲鈴代 ライター

 『勧進帳』の武蔵坊弁慶に憧れ、家の廊下を花道に見立てて弁慶になりきって六方を踏んでいた少年、それが今年10代目を襲名した松本幸四郎さんである。

ズラリと並べられた南座・吉例顔見世のまねき看板=2018年10月11日、京都市左京区ズラリと並べられた南座・吉例顔見世のまねき看板=2018年10月11日、京都市左京区
 曽祖父の7代目は弁慶を演じること1600回、父である2代目白鸚さんもちょうど10年前の東大寺奉納歌舞伎で1000回を超え日進月歩、高麗屋は代々弁慶を演じる家系である。そして10代目幸四郎さんも、今年正月の歌舞伎座襲名披露から、4月名古屋御園座の杮葺落、7月大阪松竹座と弁慶を務めあげ、来たる11月の京都南座吉例顔見世で、弁慶の真骨頂を演じる。

 「(弁慶を)演じるために45年頑張ってきた」と語る幸四郎さんの面差しは、端然としつつも、カッコいい弁慶に魅せられた子どもの頃のワクワクした一途な想いを覗かせていた。

稀代の弁慶‘滝流し’を父・白鸚から受け継ぐ

 歌舞伎の中でも人気狂言である『勧進帳』には、松本幸四郎にしか演じられない稀代の名場面がある。物語の大団円、関守富樫に酒をすすめられ、弁慶は大杯を重ねたあと‘延年の舞’を披露する。一般的な筋立てではそのあと弁慶は飛び六方で花道をゆくのであるが、9代目松本幸四郎の弁慶は、‘延年の舞’のあと、さらに‘滝流し’という舞を披露する。この長唄の名曲‘滝流し’を加えることは、弁慶役者にとって体力的にも精神的にも厳しいという。ゆえに歴代の名優たちも、そうそう‘滝流し’には手を出さない。だから観客の私たちが、弁慶の‘滝流し’を見ることは、千載一遇の稀なことなのである。

 その‘滝流し’バージョンの『勧進帳』に幸四郎さんは挑戦する。11月南座の顔見世興行が初披露となる。

 「私から父にお願いして、(滝流しを演じる)お許しをもらいました」と幸四郎さん。今、習わなければ、次の世代に自分が教え伝えることができないからと、芸の継承をみずからの使命として果敢に挑む。

 「わずか3分ほどのことですが、この‘滝流し’を加えることは、演者にとってはもちろんのこと、舞台の邦楽演奏者の方々にとっても、大変な重責なのです」

 松本白鸚・幸四郎・染五郎と三代揃っての襲名も稀なることであるが、親、子、孫で富樫・弁慶・義経を演じる『勧進帳』も前代未聞のことだそうだ。

 「弁慶は演じるほどに大変になってゆきます」と、謹厳なまなざしで語る。11月25日の千穐楽には、幸四郎さんが弁慶を務めて100回を数える節目となる。

開場400年・京都南座の杮葺落

 ながらく耐震補強工事で幕を下ろしていた京都南座が、11月1日吉例顔見世興行で開場される。年の瀬の風物詩であった顔見世のまねき(招看板)も、ここ数年は上七軒歌舞練場やロームシアター京都に場所を移し、京都市民は寂しいかぎりであった。

 先日、南座のライトアップ点灯式が行われたが、その式典に立ち会われた幸四郎さんも、「京都に来る折々、灯の消えた南座を見るにつけ寂しい思いに駆られていました。早く明かりが灯るように願っていました」という。「京都は保守的なように思われがちですが、僕が思うにすごく破壊的な街」と、歌舞伎発祥地の根底にある非常にエキセントリックな京都を見据えられていた。

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