逆風の光市母子殺害事件弁護団を追った東海テレビ、足利事件冤罪を証明した日本テレビ
2018年10月26日
東海テレビ報道局専門局次長だった阿武野勝彦(59)=現・報道局専門局長=は2008年4月、社長の浅野碩也(72)=現・相談役=と社長室で向き合っていた。山口県光市母子殺害事件の弁護団に密着したドキュメンタリー「光と影」の放送が1カ月半後に迫っていたとき、プロデューサーの阿武野は社長から説明を求められたのだった。
事件当時18歳だった被告(37)=現・死刑囚=が殺意の否定に転じ、「死刑廃止論を主張するため裁判を利用しているのでは」と弁護団は世間から批判の嵐にさらされていた。弁護士橋下徹(49)が07年5月、弁護団の懲戒請求を読売テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」で呼びかけ、〝鬼畜弁護団〟という非難が飛び交った。ネットでの書き込みも加速していった。
「お前はキチガイだ。絶対放送させない」と、阿武野は社長から言われた。
「私はやめてもかまいません。ただ、番組を止めたあなたが、取材に協力してきた弁護団が信義則違反で訴訟を起こしたときの対象になりますよ。相手は腕っこきの弁護士たちです」と答えた。
すると、「どれくらい進んでいるんだ」と聞いてきた。落としどころを求めているんだな、と放送中止は避けられる感触を得た。「取材は8割がた済んでいます」と言うと、話は収まった。
「光と影」は、報道部ディレクターだった斉藤潤一(50)=現・報道局部長=が「光市母子殺害事件弁護団の会議を撮影できます」と企画を持ち込んできた。名張毒ぶどう酒事件の裁判取材で知り合った弁護士が弁護団のメンバーになっていたことが手がかりとなった。ただ、条件として、会議すべてを撮影すること、放送は広島高裁での差し戻し控訴審の判決(4月22日)後にすることで合意した。
「光と影」のテーマは、「弁護士の職業倫理とは何か」だった。阿武野らは、被害者感情を理由にした弁護団へのバッシングとは異なる視点から、重層的に事件を伝えたい、と考えていた。
社長は「会社をおとしめることになる」と放送にブレーキをかけようとしたが、他の幹部は阿武野らを後押しした。取締役編成局長の内田優(67)=現・社長=と報道局長の広中幹男(68)は、「どういう形でもいいから番組として出そう」という決断を揺らがせることはなかった。ただ、阿武野は責任を取り、会社を辞めざるを得ない事態になることも半ば覚悟していた。
重苦しい空気が一変したのは判決1週間前の4月15日、NHKと民放でつくる第三者機関「放送倫理・番組向上機構(BPO)」の放送倫理検証委員会が出した意見書だった。差し戻し控訴審をめぐるテレビの報道、番組が「感情的に制作され、公正性・正確性・公平性の原則を逸脱している。一方的で感情的な放送は、広範な視聴者の知る権利にこたえられず、不利益になる」という見解を示したのだった。逆風は追い風に変わった。
阿武野は開局50周年だった08年に、記念番組として東海テレビが手がけたドキュメンタリーから現代に通じる作品を毎月放送する担当となり、案内人の1人となったノンフィクション作家の吉岡忍(70)と意見書公表の前に初めて会っていた。制作中だった「光と影」について話すと、「応援するよ」と言われた。ただ、何を言っているんだろう、とピンとこなかった。意見書作成に関わった吉岡が放送倫理検証委員会委員であることを、阿武野は知らなかったのだ。光市母子殺害事件報道をBPOで審議するよう大学教授が要請したのをおぼろげに知っていたが、BPOは名古屋の放送局からは遠い世界だった。
5月末の深夜に放送されたあと、6月初めの昼に再放送された。番組が始まって間もなく東海テレビにかかってきた電話は半数近くが「被害者家族の気持ちがわかるのか」といった批判だったが、終了後を含めた全体では8~9割が「よく伝えてくれた」「見方がわかった」という好意的な内容を占めた。「光と影」は日本民間放送連盟賞最優秀に選ばれ、阿武野には日本記者クラブ賞が贈られた。
阿武野にとって「光と影」が転機となった。表現をめぐり組織と激しく衝突した初めての体験だった。あれほど緊張して制作に臨んだ番組はなかった。司法の様々な問題について斉藤と一緒にシリーズで取り組み、09年に犯罪被害者遺族を追った「罪と罰」も作った。15年には堺市の暴力団事務所の内部にカメラを半年間据えるという前例のない手法でその実態をとらえた「ヤクザと憲法」を放送した。これまで手がけたドキュメンタリーは約50作となる。
地方局ではすぐれたドキュメンタリーの作り手が巨匠として一時代を築いても、定年などで局を去ると注目作が途切れがちだった。阿武野も、1人のディレクターが長く取材対象に入り込むと、それを継ぐのが難しいことを認める。「職人という視点で言うと、制作者として生き残っていくためには、後輩を上手に育て、そして、上手に潰さなくてはならない。手練れのディレクターが、数人いれば事足りる組織なら、この二律背反の泥沼に制作者は苦しむことになる」(月刊誌「GALAC」2018年5月号)と記している。
阿武野はこの難題にあえて挑んでいる。その一つが、東海テレビで制作したドキュメンタリー番組を再編集して映画化する試みだ。全国の映画館での上映を2011年から始め、これまでに10作となる。老夫婦の生活や終末を描いた最新作「人生フルーツ」は観客動員が24万人を超え、これまでの最高となった。
ドキュメンタリーはスポンサーがつきにくい。ディレクターは日々、仕事がイベントの取材に追われるなか、本当に撮りたいドキュメンタリー制作が自らの価値や問題意識を見つめる機会となる。映画化を進めれば、地元以外のファンを増やすとともに、作品の幅を広げることになり、作り手の世代間のバトンタッチを進める狙いも込められている。
阿武野は「取材対象にタブーはない」と局内で言ってきた。プロデューサーを務めた18年9月2日放送の開局60年記念番組「さよならテレビ」でも言葉通りの実践を示した。ディレクターは「ヤクザと憲法」と同じ土方宏史(42)が担当した。
ネット時代を迎え曲がり角を迎えたテレビ局の実像を描くため、自局の報道部に録音用のピンマイクを置き、日々の会議や編集の生々しいやり取りをカメラに収めた。
ミスをした若手記者への上司の叱責、ニュース番組放送後の報道局長の注意、視聴率低下の指摘と働き方改革の呼びかけをする報道部長の発言。日ごろのテレビ画面では映らないリアルな姿が、77分間にわたり放送された。撮影に反発する報道部の声も当然のことながら出ている。11年に情報番組「ぴーかんテレビ」で岩手県産米のプレゼント当選者欄に「怪しいお米 セシウムさん」と書き込んだテロップを流した日に、毎年開いている全社員集会の模様も報じた。
カメラが最も追いかけたのはニュースキャスターの男性アナウンサーだった。キャスターが担当する番組での「顔出しNG座談会」で出席者の顔の一部が画面に出る不手際が起きたときの反応とおわび放送も取り上げた。そして、キャスターが幹部から降板を告げられる場面を音声で伝えた。国内の放送でキャスター降板の通告の瞬間が放送されたのは、おそらく初めてだろう。
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