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少数意見と真実発掘のドキュメンタリー[11]

逆風の光市母子殺害事件弁護団を追った東海テレビ、足利事件冤罪を証明した日本テレビ

川本裕司 朝日新聞社会部記者

「光と影」を阻止しようとした社長、BPO意見書で一変

 社長は「会社をおとしめることになる」と放送にブレーキをかけようとしたが、他の幹部は阿武野らを後押しした。取締役編成局長の内田優(67)=現・社長=と報道局長の広中幹男(68)は、「どういう形でもいいから番組として出そう」という決断を揺らがせることはなかった。ただ、阿武野は責任を取り、会社を辞めざるを得ない事態になることも半ば覚悟していた。

 重苦しい空気が一変したのは判決1週間前の4月15日、NHKと民放でつくる第三者機関「放送倫理・番組向上機構(BPO)」の放送倫理検証委員会が出した意見書だった。差し戻し控訴審をめぐるテレビの報道、番組が「感情的に制作され、公正性・正確性・公平性の原則を逸脱している。一方的で感情的な放送は、広範な視聴者の知る権利にこたえられず、不利益になる」という見解を示したのだった。逆風は追い風に変わった。

 阿武野は開局50周年だった08年に、記念番組として東海テレビが手がけたドキュメンタリーから現代に通じる作品を毎月放送する担当となり、案内人の1人となったノンフィクション作家の吉岡忍(70)と意見書公表の前に初めて会っていた。制作中だった「光と影」について話すと、「応援するよ」と言われた。ただ、何を言っているんだろう、とピンとこなかった。意見書作成に関わった吉岡が放送倫理検証委員会委員であることを、阿武野は知らなかったのだ。光市母子殺害事件報道をBPOで審議するよう大学教授が要請したのをおぼろげに知っていたが、BPOは名古屋の放送局からは遠い世界だった。

光市母子殺害事件の差し戻し控訴審の判決が言い渡される広島高裁に入る被害者遺族の男性=2008年4月22日 (C)東海テレビ拡大光市母子殺害事件の差し戻し控訴審の判決が言い渡される広島高裁に入る被害者遺族の男性=2008年4月22日 (C)東海テレビ
 「光と影」では事件現場が撮影され、300日間にわたりカメラが入った弁護団の激しい議論と葛藤がそのまま映し出された。あえて取材しなかった被害者遺族の男性が、死刑判決が言い渡された差し戻し控訴審の広島高裁の正門に入る場面を背後から撮ったシーンが象徴的だった。

 5月末の深夜に放送されたあと、6月初めの昼に再放送された。番組が始まって間もなく東海テレビにかかってきた電話は半数近くが「被害者家族の気持ちがわかるのか」といった批判だったが、終了後を含めた全体では8~9割が「よく伝えてくれた」「見方がわかった」という好意的な内容を占めた。「光と影」は日本民間放送連盟賞最優秀に選ばれ、阿武野には日本記者クラブ賞が贈られた。

 阿武野にとって「光と影」が転機となった。表現をめぐり組織と激しく衝突した初めての体験だった。あれほど緊張して制作に臨んだ番組はなかった。司法の様々な問題について斉藤と一緒にシリーズで取り組み、09年に犯罪被害者遺族を追った「罪と罰」も作った。15年には堺市の暴力団事務所の内部にカメラを半年間据えるという前例のない手法でその実態をとらえた「ヤクザと憲法」を放送した。これまで手がけたドキュメンタリーは約50作となる。

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筆者

川本裕司

川本裕司(かわもと・ひろし) 朝日新聞社会部記者

朝日新聞社会部員。1959年生まれ。81年入社。学芸部、社会部などを経て、2006年から放送、通信、新聞などメディアを担当する編集委員などを経て、19年5月から大阪社会部。著書に『変容するNHK』『テレビが映し出した平成という時代』『ニューメディア「誤算」の構造』。

 

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