オウムビデオ問題での打撃から復元させた「日曜劇場」の伝統の力
2018年11月02日
「報道機関が存立できる最大のベースは信頼性、とくに視聴者との信頼性だ。その意味で、TBSは今夜、きょう、死んだに等しいと思う」。1996年3月25日夜、「NEWS23」の冒頭でキャスター筑紫哲也(2008年死去)は言った。オウム真理教幹部らが実行した坂本堤弁護士一家殺害事件で、TBSは否定してきた坂本弁護士インタビューのビデオテープをオウム真理教に見せたことを一転して認めた日だった。
始まりは95年10月19日昼の日本テレビによる報道だった。「TBSで坂本弁護士のVTRを見たと早川紀代秀被告が供述」とニュースで伝えた。TBSはこの日夕のニュースで「見せた事実はない」と表明、96年3月11日に発表された社内調査の結果でも否定した。しかし、翌12日に東京地裁であった被告中川智正(2018年死去)の公判であった坂本弁護士一家殺害事件の冒頭陳述で、検察側はオウム幹部3人が89年10月26日、民間放送局(TBS)を訪れ折衝の過程で教団の出家制度や布施制度を批判したインタビューの内容を知ったことを明らかにした。
TBSは「見せた事実はないと確信している」と反論したが、3月23日に入手した早川(2018年死去)メモのコピーとインタビュー内容がほとんど一致していることがわかったうえ、ワイドショー「3時にあいましょう」のプロデューサーが主張を翻し「見せたんじゃないか」と認めた。
坂本弁護士一家の3人は89年11月4日に殺されていた。3人もの命に関わった可能性のある不祥事は放送局でも前例がなかった。ビデオを見せたことが犯行に影響したと受け止めた視聴者からは「お前らが坂本さんを殺した」「TBSはもう見ない」という抗議電話が、TBSに殺到した。「民放の雄」「報道のTBS」と呼ばれてきた老舗の放送局は、長く暗いトンネルに入っていった。社長磯崎洋三(2004年死去)ら取締役3人は5月1日、引責辞任した。東京放送編『TBS50年史』(2002年)には「TBSが創業以来営々として築いた社会的信用は崩れ去り、ゼロからの出直しを求められたのである」と記されている。
1962年9月に設立されたビデオリサーチの視聴率調査で、TBSは63年から81年まで、ゴールデンタイム(夜7~10時)で民放のトップを独占してきた。82年にフジテレビにその座を譲ったあとは、フジテレビと日本テレビが首位争いを繰り広げた。オウムビデオ問題後も低迷を続けたTBSは2010年終わりには、その日の最高視聴率番組が平日午後4時台の「水戸黄門」の再放送という事態がときどき起こっていた。2010年度決算では、TBSテレビが民放キー局(単体)で唯一の赤字(18億円の純損失)を記録した。視聴率の低迷に伴う売り上げの減少が原因だった。
こうした厳しい空気のなか、一筋の光を示したのが09年10月から日曜夜9時の「日曜劇場」で放送されたドラマ「JIN-仁-」だった。医師が幕末にタイムスリップする奇抜な設定ながら強いメッセージ性が好評だった。
しかし、結果は「検討します」ということだった。いいドラマになる自信があった。意地もあり連絡を取らないでいると、10カ月後の2008年5月、承諾の返事が電話であった。最初のイメージで相手役に決めていた綾瀬はるかには1年間待ってもらっていた。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください